「長野えびす講煙火大会」は生まれた場所を離れてから知った“故郷のすごい花火”

長野の花火に歴史あり!

「長野えびす講煙火大会」は、1889(明治32)年にはじまった、国内でも極めて古い歴史をもつ花火大会だ。

長野では江戸時代から、花火が盛んだったと伝えられており、善光寺参りのあと精進落としをするための花街として発展した権堂村(現在の長野市権堂町)では、客寄せのために花火大会が催され、多くの見物人を集めたという記録が残っているそうだ。

現在の権堂町。善光寺にほど近い場所にある

また、1824(文政7)年には、久保寺村(現在の長野市安茂里)で、約200年の歴史を持つ「犀川神社の杜煙火(もりはなび ※県無形民俗文化財)」がはじまったとされる。「長野えびす講煙火大会」の煙火師「紅屋青木煙火店」が祭礼に協力していることからも、この地に古くから花火が根付いていたことを窺い知ることができるだろう。

ちなみに、“えびす講”とは長野市岩石町に鎮座し「えびす様」を祀る西宮神社の例大祭で、毎年11月18日から20日にかけて、商売繁盛や五穀豊穣などを祈願する人々で賑わう。

西宮神社のえびす講。19日は終夜「宵えびす」が行われる

西宮神社の拝殿。左側には釣り糸を垂れるえびす様が!

商売繁盛の熊手や、だるまなどを買い求める客で賑わう

かつては、このえびす講にあわせて近隣の商店が大売り出しを行ったそうで、農家などが冬支度の買い物に訪れることが慣例となっていたそうだ。

ちなみに、西宮神社は「善光寺七福神巡り」の“6番目の神社”としても知られる。

長野駅から善光寺までが遠い!「善光寺七福神巡り」でその理由を解明する

そして、えびす講をさらに盛り上げようと1899(明治32)年にはじまったのが「長野市大煙火大会」だ

えびす講の期間中、朝から夜半にかけてさまざまな花火を打ち上げたところ、たくさんのお客さんが集まり市内の商店も大繁盛したそうだ。これ以降、長野では毎年えびす講に合わせて花火を打ち上げることとなった。

熊手を購入すると、威勢のいい「手締め」が響き渡る

大正から昭和の初期にかけては、日本初の二尺玉の打ち上げや、花火の早打ちなど技術革新が進み、“質の高い花火大会”として、全国にその名が知られるようになっていったそうだが、戦争のために中断を余儀なくされる。

戦後になると、長野市民にこよなく愛される花火大会として発展。1992(平成4)年からは、全国の花火師を招きその技を競い合う「十号玉新作花火コンテスト」がはじまり、1998(平成10)年の長野オリンピックを契機として、さらに多くの花火ファンに知られる存在になっていく。

長野駅構内に貼られたポスター。2018(平成30)年で113回目の開催だ

現在では、晩秋に開催される花火大会として全国からファンを集める。特徴的なのは、花火を打ち上げる煙火師を、前述した紅屋青木煙火店と信州煙火工業の2社が担当することだ。

『公式プログラム』にも、どの花火をどちらの煙火師が打ち上げるのか記載されているので、それぞれの煙火師による花火を見比べるのも楽しみの一つとなっている。

 

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