“廃線跡”という言葉に歴史のロマンを感じてしまう。
想像して欲しい。明治の文明開化以降、全国のすみずみにまで爆発的に広がっていった鉄道は、日本の近代化と共に多くの旅客や貨物を乗せて走り続けてきた。
しかし、何らかの理由でその役割を終えることになった“かつての動脈”こそが、現在の廃線跡なのである。
一度敷かれた線路が、なぜ廃線となってしまうのだろう? 以前の記事でとりあげた、信越本線・横川駅〜軽井沢駅間の場合では、在来線と並行する形で北陸新幹線が開業したことにその理由があった。
碓氷峠「アプトの道」を攻略!長野県歌『信濃の国』の歌詞に出てくる路線を歩く【前編】 碓氷峠「アプトの道」を攻略!長野県歌『信濃の国』の歌詞に出てくる路線を歩く【後編】そのほかのケースとしては、利用者の減少や、災害をきっかけとして廃線になる事例が多々あることはご存じの通りだと思う。
しかし、今回取り上げる“廃線跡”は、長野県の南北を繋ぐ重要な路線であり、現在も現役で利用されているJR篠ノ井線だ・・・いったいどういうことなのだろう!?
というわけで、長野県安曇野市明科にある、「旧国鉄篠ノ井線・廃線敷遊歩道」へと向かった。
明科駅から廃線めぐりをスタート
JR篠ノ井線は、長野県長野市の篠ノ井駅と長野県塩尻市の塩尻駅を結ぶ、JR東日本が管轄する鉄道路線だ。
東京、名古屋の両都市圏から、特急列車「あずさ」や「しなの」などが中央本線を経由して直通する路線であり、長野県中部の塩尻市や松本市と、北部の長野市を連絡する役割も担っている。
また、“海なし県”の長野県で消費する石油のおよそ8割を、関東や中京の湾岸エリアから貨物列車によって、油槽所がある南松本駅やしなの鉄道・坂城駅へと運ぶ重要なルートでもある。
そんな篠ノ井線の廃線跡をたどることができるという「旧国鉄篠ノ井線・廃線敷遊歩道」の起点となるのが、JR篠ノ井線の明科駅だ。
実はこの案内図に「なぜ現役で利用されているJR篠ノ井線に廃線跡があるのか?」という謎のヒントが隠されているのだが・・・まずは、論より証拠! ということで、案内が示すルートを進んでみよう。
ちなみに、遊歩道を歩き通すと片道約6kmの行程となるので、それなりの準備(と気合い?)が必要となる。
明科駅には駐車スペースがないので、車で訪れる場合にはこの場所か、後述する遊歩道の終点から散策するといいだろう。