東京都渋谷区にある、この看板がずっと気になっていた。
春の小川はさらさら行くよ〜♪ の歌詞で知られる『春の小川』は、長野県中野市出身の高野辰之(たかの・たつゆき)が作詞した唱歌だ。
高野は、明治から昭和にかけて活躍した国文学者で、他にも『紅葉』『故郷』『朧月夜』『春が来た』などの作詞でも知られる。
駅そば店の壁に貼られた“2円切手”の意味とは?長野県中野市は“唱歌『故郷』の故郷”なの?『春の小川』に登場する“小川”は、出身地である中野市の斑川(はんがわ)とする説もあるが、高野の東京での住居があった、渋谷区代々木を流れる河骨川(こうほねがわ)が、モデルではないかとも言われている。
ちなみに、現在の河骨川はそのすべてが暗渠(※外からは見えないようになっている水路)となっているそうで、川の流れが本当に“さらさら”しているかどうかは確認することができない。しかし、どこをどのように流れているのかは“見えない川”だけに気になる!
というわけで「春の小川」がその姿を現すまで、たどってみることにした。
住居跡から「春の小川」の水源へ
まずは、高野辰之の東京の住居を訪ねてみることにする。
代々木駅前の交差点を西に向かって歩いて行くと・・・
さらにしばらく進んでいくと・・・
以下に引用してみよう。
国文学者高野辰之は、明治九年(一八七六)長野県に生まれ、明治四十一年(一九〇八)からここに住み、この付近の風景を愛してうたったといわれる唱歌「春の小川」や「おぼろ月夜」などを次々と作詞しました。論文「日本歌謡史」により東京帝国大学より文学博士の学位を授与され、帝国学士院賞も受賞されています。(※文字強調と着色は筆者)
なるほど。でも、こういう解説って面白い。この記念碑には渋谷区教育委員会としての考えが示されており、その考えは中野市とは見解が異なるわけで・・・でも、まぁそりゃそうだよね。
とにかく、高野がどちらの自治体からも大切にされていることがわかった。
次は、河骨川の水源を目指す。