城下町で最古の商店街に現れた劇場の物語!長野県上田市にシアター&ゲストハウス「犀の角」ができるまで

犀の角のオーナー荒井さん一家をパチリ

長野県上田市は、戦国武将として名高い真田氏が築いた上田城を擁する城下町だ。

江戸時代には北国街道の上田宿が置かれ、江戸と善光寺、越後(佐渡金山)、北陸地方を結ぶ交通の要衝としても栄えてきた。現在では北陸新幹線や上信越自動車道による東京へのアクセスも良好であり、この地への移住者も多い。

そんな、上田の城下町で最も古い商店街である海野町商店街に立地するのが「犀の角(さいのつの)」だ。

犀の角のエントランス付近

犀の角は、劇場とゲストハウス、飲食スペース、レンタルスペースからなる上田の文化発信基地であり、多くの劇団の公演や、ライブ、さまざまなイベント会場として活用されている。

広々としたステージ

特に毎年秋に多彩な演目が繰り広げられる「上田街中演劇祭」は、犀の角のステージはもちろんのこと、市内のさまざまな場所が演劇の舞台として活用される。その名の通り“街中の演劇祭”として地域に定着しつつあるイベントだ。

長野県上田市の「犀の角」で演劇の“上田合戦”がはじまる!「上田街中演劇祭」

この地に犀の角を立ち上げたのが、荒井洋文(あらい・ひろふみ)さんだ。そのモチベーションはなんといっても演劇への尽きることのない情熱である。

取材に応じてくれた荒井さん

しかし、人口16万人ほど(※2019<令和元>年現在)の地方都市である上田市において、演劇をメインにした劇場の運営は成り立つものなのだろうか?

上田市に生まれた荒井さんが、京都や静岡に移り住みつつも地元に戻り、犀の角を立ち上げるまでにはいったいどのような経緯があったのか、お話をお聞きした。

少年時代の落石事故

ーー出身地は上田市ですよね? 年齢はおいくつなんですか?

1971(昭和46)年生まれの団塊ジュニア世代ですね。出身は長野県上田市の街中です。

ーーどんな感じの子供だったのでしょう?

いきなりディープな話になっちゃうんですけど・・・小学校3年生の頃にかなり大きな事故に遭いまして・・・

ーーえ! 交通事故ですか?

山で落石にあったんです。致命傷を負って、生死をさまような状況になりました。家族とキャンプに行く途中で、休憩して岩場で遊んでいたら岩が崩れてきたんです。

少年時代を振り返る荒井さん

それまでは、外を元気に飛びまわるような子供でしたが、事故によって体がいろいろと不自由になりました。肺を潰して・・・肺が片方ないんですよ。今は少しだけ残っていたもうひとつの肺が復活してきたので、普通の人とそれほど肺活量も変わらないんですけど。

ーーどんな感じに回復していったのですか?

最初の入院は2カ月くらいでしたが、その後も入退院を繰り返して・・・肺以外の内臓も打撲していたので。事故から1年間くらいは外で遊べなくて・・・だから小学校の頃は学校には行ったり行かなかったりという感じでした。

でも、勉強はある程度できたから中学校には普通に進学して・・・といっても運動はできなかったから、部活は科学部に入りました。

ーー科学はどんな分野が好きでした?

自然科学ですね。天文学とか地学とか。科学部では、毎週土曜日に上田市にある太郎山に登って気象観測や地質調査をしていました。だから、毎週山登りをすることになって・・・

店頭にはイベントのスケジュールが掲示されている

ーー体もじょうぶになっていったんですね! でも、科学好きな人って山が好きな人も多いですよね。

そうそう(笑)。やっぱり自然が好きな人が多いんです。あと『子供の科学』なんかも毎月読んでいました。

ーーあれはいい雑誌ですよね。

おもしろかったですね。モノづくり系の記事も多くて・・・よく工作しました。家の近所に模型屋さんがあって、モーターや豆電球を買ったりしてね。

入り口に飾ってあったオブジェとウェルカムボード

ーー中学校での勉強はどうだったんですか?

僕はできると思っていたんですよ。結構成績も良かったし。だから、上田高校に進学しようと思っていました。

 

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