国道19号線を南下していた。
長野県の南北を繋ぐこの国道の一部は、江戸時代の五街道の一つである中山道とほぼ同じルートをたどる。
なかでも、長野県塩尻市の贄川宿(にえかわじゅく)から、岐阜県中津川市の馬籠宿(まごめじゅく)までは木曽路とも呼ばれ、かつて11の宿場(=木曽11宿)が置かれた。またこの地域一帯は木曽谷とも呼ばれている。
「木曽の桟」は中山道の絶叫ポイント!?長野県上松町の「桟温泉旅館」そして、現代の木曽路=国道19号線を南下する筆者の目に、大きなお寺の姿が飛び込んできた。
お寺を見つけた場所は、木曽11宿の一つ野尻宿(のじりじゅく)だ。現在の住所では長野県木曽郡大桑村ということになる。
天気もいいし、立派なお寺だし・・・ちょっと立ち寄ってみることにした。・・・そして、実に興味深い“観音さま”と出会うことになったのだ。
十字架をかかげる「マリア観音」
訪れたお寺の名前は妙覚寺(みょうかくじ)。臨済宗の古刹で創建は不詳。寛永年間(1624〜1645年)に大火にて焼失したものの、1726(享保11)年に本堂が、1856(安政3)年に観音堂が再建されたそうだ。
(※前略)裏庭には天保3年(1832)の作とされる十字架を左手に高くかかげたマリア観音があり、これは野尻川向にあったものを、昭和46年に現在の場所に安置したものです。
え! マリア観音ってなに!? あとで辞書で調べてみると・・・
マリア観音
隠れキリシタンが江戸時代、中国渡来の白磁の観音像を聖母マリア像の代用として、ひそかにあがめていたもの。イエスに擬した幼児を抱く像もある。(出典:広辞苑 第七版)
なるほど。つまり、木曽谷に隠れキリシタンがいたということ!?・・・ちなみに、このマリア観音が作られたという1832(天保3)年は江戸時代の後期であり、翌年の1833(天保4)年には、木曽谷にも甚大な被害をもたらした「天保の大飢饉」が発生している。
というわけで、裏庭にあるというマリア観音を探すことにする。
境内をまわってみたが、マリア観音を見つけることができなかったので、お寺の寺務所で尋ねると詳しい場所を教えてくれた。
妙覚寺のマリア観音は、千手観音の姿をしている。合掌する手と、十字架をかかげる手が印象的だ。
しかし、さきほど見た立て札には「十字架を左手に高くかかげた」という記述があったが・・・右手も十字架をかかげているように見える。
さまざまなことを思いながら、その姿に見入った。
しかし、いったいどのような作法でお祈りをするべきなのだろう? しばらく迷ったが、静かに手を合わせることにした。
・・・当時の人たちは何を思ってお祈りをしたのだろうか。
終わりに
あとで調べてわかったことだが、木曽路の奈良井宿(ならいじゅく※長野県塩尻市)にある大宝寺には「マリア地蔵」が鎮座しているとのこと。
やはり、江戸時代の木曽谷(当時は尾張徳川家がこの地を治めていた)には、隠れキリシタンがいたということなのだろうか? 木曽谷にマリア観音とマリア地蔵が残っていることは、まぎれもない事実なのだ。
偶然に導かれ出会ったマリア観音だったが、さらに詳しいことを知りたくなった。
アクセス
- 妙覚寺
住所:長野県木曽郡大桑村野尻1973
最寄駅:JR中央本線・野尻駅から徒歩約7分
アクセス:中央自動車道 中津川ICから約45分、伊那ICから車で約1時間15分
駐車場:あり