「五稜郭」をご存じだろうか?
五稜郭は、江戸時代の末期に建造された五角形(星形)の城郭で、北海道函館市にあるものが特に有名だ。というか五稜郭=函館だと思ってる方も多いだろうし、事実、多くの辞書にもそのように記載されている。
しかし、日本にはもう1つ五稜郭が存在する。それが長野県佐久市にある龍岡城だ。
つまり、日本に存在する五稜郭は函館と佐久の2か所のみで、極めてレアな存在なのだ。
というわけで、“5角形の城”を体感すべく現地へと向かった。
龍岡城の現状を知る
長野県佐久市(江戸時代の所在地:信濃国佐久郡田野口村字龍岡)にある龍岡城は、1867(慶応3)年に奥殿藩(おくとのはん)の松平乗謨(まつだいら・のりかた)により築城された。
三河(現在の静岡県の一部)を本拠地とした奥殿藩は、信州に1万2000石、三河に4000石の領地を持ち、信州には陣屋を置いて統治していたが、11代藩主の乗謨の時代になりこの地へと移転。以後、田野口(龍岡)藩と呼ばれるようになった。
本拠地を移した理由は、その領地の大部分が信州にあったこと、また激動する幕末期を迎え、動乱などを避けるために手狭な三河領から退避する意味もあったという。
五稜郭は、星形(稜堡<りょうほ>式)要塞と呼ばれる西洋式城郭のことで、銃や大砲が発達した時代の城として、防御側の死角を減らし敷地の尖った部分に砲座を設けて、十字砲火をもって攻防するという利点を持つとのこと。
では、城内へと進もう!
現在の龍岡城の敷地内には、佐久市立田口小学校が建つ。
1871(明治4)年の廃藩とともに、龍岡城の建物は取り壊されたが、御殿の「お台所」だけは小学校として使用することが認められたため、現在でも当時を偲ぶ、唯一の遺構として敷地内に残されている。
お台所は、長い間小学校の校舎として使用されたが、1929(昭和4)年に、敷地内の現在の場所に移され、1961(昭和36)年には復元工事も行われたそうだ。
全国的にみても明治維新以降、城が取り壊されたり、城内に学校やさまざまな施設が設置された例はかなり多いと思うが・・・ふむ。
ちなみに佐久市内の路上には、龍岡城への案内板が数多く設置されており、ガイドマップなどでも“観光名所”として紹介されている。
「よし!佐久の五稜郭に行こう!」と勇んでやってきた観光客が、期待に胸を膨らませて城内へと進むと・・・ごく普通の小学校の校舎がそこには立っている・・・ちょっと切ないものがある。
せめて、なんとか“五角形”を感じることはできないものだろうか?
というわけで、ここでひらめいた! 現代のテクノロジーを使ってみよう。