すぐに連想したのは、十二支(干支)の筆頭にして『ドラえもん』が嫌いなあの生き物のこと。
しかし、交差点の名前としてはかなりユニークではないだろうか? そして、その生き物とこの場所とは何か関係があるのか?
「ねずみ」交差点は、長野県坂城町と上田市との境付近、国道18号線にある。
この交差点は、なぜこのような名前になったのだろう? 気になってしょうがないので現地に降り立ってみた。
「ねずみ」の近くをうろチョロ
国道18号線は、群馬県の高崎市から長野県軽井沢町、小諸市、上田市、長野市などを経由して新潟県上越市に至る道だ。
交差点から上田市方面に進んでいくと・・・
「『ねずみ』ってもしかして、昔の街道の宿場なのかな?」と思いつつ、さらに国道を進んでいくと、疑問が氷解した。
やはりこの地は北国街道の宿場のようだ。
かつて東京・日本橋から群馬県を経由し長野県御代田町の追分(おいわけ)宿までを中山道、追分宿を分岐点とし新潟県上越市までを北国街道と呼んだ。そのルートは現在の国道18号線にほぼ該当する。
北国街道は善光寺への参詣の道としてはもちろん、佐渡で産出される金を江戸に運ぶため、また北国大名たちの参勤交代の道としても重要視されていたという。
北国街道鼠宿とは?
では、鼠宿とはどのような宿場だったのだろう? 看板の説明を要約すると、
- 鼠宿は北国街道の上田宿と坂木宿の間にあった
- 幕府公認の宿場ではなく松代藩(真田家)が独自に設けた
- 取り締まりは関所なみに厳しかった
- 「岩鼻(いわばな)」と呼ばれる街道の難所があり、交通、経済、政治上の要衝だった
といったところ。
つまり、「ねずみ」交差点は、かつてこの地に鼠宿と呼ばれる宿場があったためその名前が付けられたということだ。
さらに付近を捜索してみる。
本陣とは、大名などが泊まった宿場の中でもっとも格式が高い旅館のことだが、坂城町役場観光振興課に問い合わせてみたところ、ここは本陣ではないとのことだった。しかし、真田氏の痕跡を見つけることができたのは嬉しい。
先ほどの看板には、「真田氏が上田から松代に国替えになったタイミングで宿場の造成に着手した(要約)」とあったが、ということは真田信之(上田藩、松代藩初代藩主)が鼠宿を設置したいうことになる。
しかしまだ疑問は残る。
看板には「当時、南条村と称していた金井村以南の地を鼠宿村と改め・・・」と書かれていたが、なぜ「鼠」という名前が付けられたのかまでは書かれていない。
さらに付近を捜索してみる。
千曲川にかかる鼠橋から上田方面を眺めて見ると、切り立った絶壁のようなものが見えたので地図で調べて見ると・・・
どうやら、前述した北国街道の難所にして交通、経済、政治上の要衝といわれた「岩鼻」のようだ。
これは行ってみるしかない。