・・・あまりにも暑いと辛い物が食べたくなる。
記録的に早かった梅雨明けのせいなのか、7月に入ったばかりだというのに連日30度超えの真夏日が続く。灼熱の太陽の光が降り注ぐ中、木々の緑もまぶしい木曽谷を貫く国道19号線、すなわち“木曽路”を車で走っていた。
江戸時代の五街道の1つ中山道。その中でも、長野県塩尻市の贄川(にえかわ)宿から岐阜県中津川市(旧・長野県山口村)の馬籠(まごめ)宿までの道のりは特に「木曽路」とも呼ばれ、11の宿場が今なお当時の面影を色濃く残している。
長野県歌『信濃の国』の3番に「木曽の谷には真木茂り」という歌詞があるが、木曽谷の約9割は森林で占められており、特に緻密な木目を持つ「木曽檜」は古来より重用され、伊勢神宮の式年遷宮のご神木としても使われてきたという歴史を持つ。
車は今、木曽福島にさしかかったところだ。(※心の声・・・今日は暑いし、お昼は何を食べようか? そういえば、この町にはたしか“激辛ラーメン”を出すお店があったな)
木曽の宿場の中でも福島宿は特別な存在だ。かつてこの地を治めた徳川御三家筆頭の家格をもつ尾張藩の木曽代官屋敷と、関所があった中山道の要衝なのだ。
福島関所は、江戸幕府が江戸の防衛のために、東海道の箱根関所や荒居関所、中山道の碓井関所などと共に特に重視した関所で、いわゆる「入鉄砲出女」を厳しく取り締まったそうだ。
(※心の声・・・うん。“激辛ラーメン”を食べて、汗だくになって暑気払いするのもいいかもしれないぞ!)
ということで、中山道・福島宿の歴史と“心の声”が錯綜してしまったが、国道19号線から木曽福島の町の中へと車を進めた。
木曽福島駅からぶらぶらと歩いて
車を駅の近くにとめて、ぶらぶらと歩きながら目的の店に向かうことにする。
JR中央本線・木曽福島駅は木曽地域の観光の拠点で、長野駅と名古屋駅を結ぶ「特急しなの」をはじめ、すべての旅客列車が停車するこの地域の中心的な駅だ。
崖家造り(がけやづくり)は、木曽谷の狭い土地を有効に使うために、先人たちの暮らしの知恵から生まれた、床を崖に張り出して建物を建築する方法だ。