古民家の再生は“活用するための仕組み作り”まで
宮澤さんは長野県岡谷市出身で、高校卒業後は東京の大学で建築の勉強をしつつも、その視線は地方に向いていたという。
「東京にいながら地方に注目していたのは、大学の先生の影響もありますし、自分自身の方向性もあったと思います」。そして、大学卒業後は長野県飯田市にある建築設計事務所に就職したとのことだが・・・
「バブル期の乱開発によって地方が一時期ダメになった時代がありました。でも、地域に根ざし、その地域の特性を大切にして応援したいという志を持った建築家の方が、先生のまわりに何人かいたんです」
「彼らは、連携を取りながらそれぞれの場所でさまざまな取り組みをしていました」とのことで、大いに刺激を受けた宮澤さんは、そのうちの1人で飯田に事務所を構える建築士の方にお世話になることになったそうだ。
飯田では、使われなくなった古民家を移築し、その地域の拠点施設として再生するといった仕事を目の当たりにしたそうだ。
「僕がお世話になった事務所では、建物を、移築・再生するだけではなく、地元の方が活躍できるような仕組みもあわせて構築していました」
「つまり、彼らが畑で作った作物を加工して、お店を運営しつつ販売できるようにするにはどうすればいいか? までを考えるのです」
宮澤さんは、古いものを再利用するだけではなく、その使い方を含めて提案することが大切だということを学んだという。
「働きながら、そういったプロセスを間近で経験出来たのは大きかったと思います。仕事の進め方はもちろん、建築や設計といった実務的なことも吸収させてもらいました」ということだ。
飯田では、古民家の再生だけではなく新築住宅や公共施設の建築にも携わったそうだが、「新築の場合でも地域との関連性を重視していました。地元の材料を使って、地域の中で循環できるような建築物を作ろうという思いからです」
というわけで、この職場での経験が今の宮澤さんに大きな影響を与えているそうだ。
この先のまちづくりをどう考える?
会社を辞めて独立した宮澤さんだが、家づくりについて、そして地域についてどのような考えを持っているのだろう?
「地域の糧になるようなことをやりたい。というのがひとつあります。それは、単なる“イベントとしての町おこし”とかそういうことではないんです」。宮澤さんには、建築物や街並みも文化であるという思いがあるそうだ。
「下諏訪町もそうですが、時代を経て残ってきた建物というのは、残るべくして残ってきていると思うんです。だから、使われ続けているものは残り、そうでないものは残っていない。それが原則です」
「そして、今の時代になって使われなくなった建物も、持ち主が必要ないと思ったから使われていないわけです」。そこには、大都市への人口の一極集中や少子高齢化という時代の流れの影響ももちろんあるそうだ。
「例えば下諏訪町でも、かつては密度が高かった住宅街で空き家が増えていく・・・これは“都市のスポンジ化”と言われていますが、そんな状況下で『自分に何ができるか?』と考えた時に、結局は、誰かに住んでもらうか、自分が住人になるしかありません」
つまり、宮澤さんは1プレイヤーとして、“できること”を実践していることにもなる。
「できるだけ古い建物を残したいという気持ちはありますが、もちろん中には、老朽化が進行して使えない建物もあるので、それは壊してしまったほうがいいと思います」
「重要なのは、建物が建っていた土地をどのように利用していくか? ということ。もちろん誰かの所有物なので勝手にはできませんが、『この土地は、地域にとってどのような意味を持つ場所なのか?』と適切に評価した上で、『こうなったらいいよね!』という視点を持ってまちづくりを進めることができるなら、面白いことになって行くと思います」
「古い建物や町並みには、生活の中から自然に、必然的に生まれてきたものが残っているんです。だから可能な限り残したいし、新しく生み出していく建物や町並みにおいても、そんな視点を持つべきだと思うんです」と語ってくれた。