千曲川の堤防が決壊した長野県長野市・長沼地区で、父が興した工務店を引き継ぐ“覚悟”とは!?

「覚悟を見せて!」とお願いしてポーズを取ってくれた登壇者たちをパチリ!

各地で猛威をふるった「令和元年台風第19号」

2019(令和元)年10月12日、筆者はスマートフォンに次々と通知される台風の情報をチェックしながら、長野県長野市に住む両親の避難について思いを巡らしていた。ハザードマップで、実家がある地域には土砂災害のリスクがあることがわかっていたからだ。

夕方になると、避難情報が警戒レベル3(高齢者等は避難)となったため、暗くなる前に筆者の家に避難してもらうことにした。そして、両親が到着してまもなく実家のある地域は警戒レベル4(全員避難)に達した。

この日、夜が更けるにつれ各地で台風による被害が拡大していったが、埼玉県所沢市に住む関 博之(せき・ひろゆき)さんは、実家に危機が迫りつつあることをまったく知らなかったという。

当日の状況を話す関さん

しかし翌13日、朝の全国ニュースで信じられない光景を目にする。実家のある長野市長沼地区で、大規模な災害が発生。地区のすぐそばを流れる千曲川の堤防が決壊したのだ。

関さんは1979年生まれ、長野県長野市の出身だ。一級建築士として東京の建築設計事務所に勤務していたが、この災害がきっかけとなり父親が興した「有限会社関工務店」を引き継ぐ決意を固めたのだという。

そこには、いったいどのような出来事と覚悟があったのだろう? イベントでお話が聞けるということで取材させて頂くことにした。

テーマ「覚悟すること」

イベントが開催されたのは長野市の中心市街地にある「CREEKS COWORKING NAGANO(以下、CREEKS)」だ。

長野市にある寺院、善光寺の表参道(中央通り)沿いに立地する

CREEKSは、一級建築士の広瀬 毅(ひろせ・たけし)さんが運営するコワーキングスペース(※)で、キッチンを備えたイベントルームやフリースペースも完備。さまざまなイベントの会場としても活用されている。

コワーキングスペース
個人が設備を共有しながら仕事を行う場所。シェアオフィスやレンタルオフィスとの違いは、利用者同士の交流やコミュニティー形成を重視しているところにある。

そんな、CREEKSで継続的に開催されているイベントが「角居’s Battle Talk」だ。このイベントは、長野市中条地区を拠点として活動する金属造形作家の角居康宏(すみい・やすひろさんと広瀬さんが、さまざまなゲストを迎えて参加者たちと共に議論を深めていくというもの。

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今回はゲストとして関さんを迎え「覚悟すること」をテーマに、災害の状況や、復興の近況についてお聞きするとともに「自身の地域の再建に対する覚悟」や、「父の仕事を継承しようという覚悟」をお伺いするという内容だ。

イベント前に登壇者が揃った

災害の発生と被災者の恐怖

角居さん(左)が関さんに質問する形式でイベントは進行した

関さんは、実家から離れた場所で地元の災害を知ったわけだが、具体的にはどんな状況だったのだろう?

「テレビの朝のニュースで千曲川の堤防が決壊している映像が放映されて・・・観た瞬間に実家の近くであることがすぐにわかりました」。ニュースを観ながら「これはヤバい」と思ったそうだが「本当に現実なのか・・・」と、にわかには信じられない気持にもなったという。

すぐに実家で暮らす母親に電話し、無事であることを確認したそうだが、その時点ですでに新幹線も高速道路も寸断され被災地は陸の孤島となっていた。すぐに実家に向かえる状況ではなかったが数日後、何とか長野にたどり着き母親と避難所で再会したそうだ。

「僕は災害発生時には所沢にいたわけで、避難しなければならなくなった瞬間とか、洪水の怖さを体験していません。でも、実際に被災した人たちの恐怖はものすごいものでした」と語る。

関さんが長野に戻った時点での被災地の状況(提供:関さん)

家業である工務店の作業場(提供:関さん)

墓地へも浸水した(提供:関さん)

「母は千曲川の堤防から水が溢れそうになっているのを実際に見たそうです。そして、すぐに車で高台へ逃げたのですが、家に携帯電話を置き忘れてしまって・・・」

「状況が状況ですし『携帯電話がないとダメだ』と思い詰めたようで、家に取りに戻ってしまったんです。それからまたすぐに避難しようと外に出ましたが、逃げようとした方向から水が押し寄せて・・・なので、遠回りをして高台に戻り、車の中で一夜を明かしたそうです」

そして次の日の昼頃、関さんの母親は自衛隊のボートによって無事救出され事なきを得たそうだ。

広瀬さん(右)の考察が入ることでトークは多角的に展開していく

「災害から2カ月以上経った今では、近所の人達と復興についてよく話し合いますが、その時は『命が助かって本当によかった』ということを噛みしめている人が多かったです」

「でも、僕はそういった恐怖を体験してないから、災害直後からいろいろと動くことができた。それはいい方向に働いたかもしれません。冷静に現場を見ることもできましたし」と当時を振り返る。

 

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