長野県原村「大橋ペンション」のオーナーが語る「ペンションヴィレッジ」と歩んだ歴史

「大橋ペンション」のオーナー夫妻をパチリ

「なんで肉が食べられないって最初に言わなかったの?」

これは、長野県原村にある「大橋ペンション」の奥さんがかつて発した言葉だ。以下、しばらく筆者の個人的な話になるがお付き合い頂きたい。

全国的に“星空がきれいな場所”として知られる原村では、毎年8月に村内にある多目的文化施設「八ヶ岳自然文化園」で「原村星まつり」という大規模なイベントが開催されている。

「原村星まつり」昼間のイベントの様子

筆者は出展者としてこのイベントに、スタッフ数名と毎年泊まりがけで出張していた時期がある。

暑さが最も厳しい頃に、職場がある東京から爽やかな高原を訪れることができるのは、仕事とはいえ大きな楽しみであり、そして、出張時の定宿として大橋ペンションに長年に渡りお世話になっていたのだ。

大橋ペンションの看板

大橋ペンションは、食事がとても充実しており、特にオーナー夫妻が栽培する無農薬野菜を使ったメニューは「はっ!」と目が覚めるほどのおいしさなのだが・・・

実は筆者と共に毎年原村に出張していたあるスタッフが、肉が苦手で・・・そのことを、何年も奥さんに伝えることが出来なかった。しかし、遂にバレてしまい冒頭の台詞が発せられることになったというわけだ。

当時の写真を発掘した

そしてその後、彼女には“肉抜き”の特別なメニューが提供されることになった(それからの彼女は、オーナー夫妻と打ち解け、娘のようにかわいがられていた・・・そんないい思い出)

閑話休題。

しかし、ペンションって今どうなんだろう? 若い旅行者の多くはゲストハウスなどを利用しているようだし・・・

そして、ペンションの経営者は、いわゆる団塊の世代が多く高齢化も進んでいる。考えてみれば、オーナー夫妻についても移住してペンションを開業したということぐらいしか詳しいことは知らない。

というわけで、久しぶりに大橋ペンションに出かけてお話を聞かせて頂くことにした。

大橋ペンションの開業

長野県諏訪郡原村は、県の中央部に位置し八ヶ岳と諏訪湖の間に広がる高原の村だ。

いわゆる“平成の大合併”に伴い、長野県内においても市町村の合併が加速度的に進んだが、原村は1875(明治8)年に村政が施行されて以来、1度の合併を経ることなくその歴史を刻んできた。

夏場のセロリとアネモネの生産量は日本一を誇り、福祉行政においては、年代に応じた老人と、高校3年生までの子供の医療費を無料としている。長野県内の他の自治体からも一目置かれる“尖った”村だ。

「ようこそ高原野菜と星の村・原村」と書かれた案内図

そんな原村にある日本最大級の“ペンションヴィレッジ”には、個性的なペンションが数多く存在している。

そこで大橋ペンション」経営するのが、大橋 誼(おおはし・よしみ)さんと鋭子(えいこ)さんご夫妻。共に1945(昭和20)年生まれの72歳だ。

ペンションのダイニングにてお話をお聞きした

——原村にはいつ来たんですか?

大橋さん:1981(昭和56)年。だから、今年でペンションをはじめてから38年になります。開業したのは36歳の時です。

——引っ越してくるまではどこに住んでいたのですか?

大橋さん:埼玉県の狭山市です。生まれたのは新潟県なんですが、狭山には小岩井乳業の工場があってね。そこでサラリーマンをしてました。ちゃん市内に家も建ててね。

奥さん:私は東京生まれで。結婚してから狭山に移りました。

大橋ペンションの全景

——家まで建てたのに、なぜペンションをやることになったんですか?

大橋さん:若い頃からスキーをやっていてね、スキーを中心に考えるとやはり関東より長野の方が便利だしね。当時は友達と一緒にスキーをしに長野に来ると、ホテルや旅館、民宿に泊まっていました。

当時を振り返る大橋さん

ぼくらが結婚したのが、1972(昭和47)年で、ペンションという存在を知ったのが1977(昭和52)〜1978(昭和53)年ぐらいかな?

それで、ペンションってどんなものかと調べてみたら、民宿とは雰囲気がちょっと違っておしゃれな宿で・・・でも「やることは民宿と一緒だな」と思ったの。それで、「ペンションをやってみたいな」という気持ちにだんだんなってきてね。

庭には手作りのブランコが

——でも、なぜ原村を選んだのでしょう?

奥さん:私は出身が東京だから友達が向こうにいるじゃないですか? だから東京に近い方がいいというのはありました。

大橋さん:原村は東京と中京のちょうど中間ぐらいだし、両方からお客さんがくるだろうしね。

あと、ここはペンションが密集して建つ“ペンションヴィレッジ”になってるからね。やっぱり、ポツンポツンと建っている場所よりも、宣伝力というか集客力はあるんじゃないかと考えました。

木には巣箱がかけてあった

——でも、当時ペンションという存在に注目してペンションヴィレッジを開発した原村もすごいですよね。

大橋さん:当時、原村の人口は減っていてね、このままだと過疎化してしまうということで、東京の不動産デベロッパーに話を持ちかけたということらしいですよ。

過疎化という問題に危機感をもって、取り組みをはじめたのは他の自治体と比較してもかなり早い時期ですよね。

原村にペンションヴィレッジの建設がはじまったのが、1967(昭和42)年頃で、ぼくらがここを開業したのが1981(昭和56)年。そのころには90軒のペンションが営業していました。ぼくらがここに入ったのは当時としては最後の方でしたね。

大橋ペンションがある、原村第2ペンションヴィレッジの案内図

——ペンションをはじめるための資金はどうしたのでしょう?

大橋さん:当時はサラリーマンだったし、あまりお金は無かったんだけど、狭山に自宅があったから売却して資金を作りました。

でも、ペンションヴィレッジにはもう土地が残って無かったんですよ。この物件は当時、デベロッパーが所有していた賃貸物件でした。だから、そんなこともあって、最初は賃貸物件を借りて開業することになりました。

それで、当時の賃貸料が高かったんですよ。月額38万円(笑)

第2ペンションヴィレッジの一角

——えー! 高いですね。

大橋さん:今は物件を買い取って個人所有になってますけど、当時は、借金するにしても金利が9%だったし大変でした。

——金利が9%ですか・・・今では考えられないけど。貯金する気になりますね(笑)ちなみにお子さんは・・・?

奥さん:いないんです。だからはじめたんです。子供がいたらできなかったんじゃないかなぁ・・・

「写真が苦手」という奥さん

大橋さん:だから、2人だったら事業に失敗しても・・・健康なら食べていけるだろうくらいの勢いでね(笑)でも、たぶん持ち家が無かったらやってないよね。

——その頃、ペンションを始めた人って都会の方が多かったんですか?

大橋さん:ほとんどそうですね。サラリーマンをやめて・・・いわゆる“脱サラ”ですね。1匹オオカミっていうか、組織からはじき出た連中ですよ。組織の中では生きていけない人たちが自由業に走ったんじゃないかな?(笑)

奥さん:そんな人たちだから、未だにまとめるのは大変です(笑)

ペンションの玄関

——でも、素人が突然ペンションをはじめられるものなんですか?

大橋さん:デベロッパーによる研修が、原村で1週間泊まり込みであったんです。その時の同期が7人いて、原村で4人が、山梨県の清里、熊本県、山口県でそれぞれペンションを同じ時期にはじめました。

 

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