なぜ、別所温泉に移住したのか
しかし、なぜ別所温泉に移住することにしたのだろう?
「2014(平成26)年のゴールデンウィークに富山に帰省するつもりだったのですが、長野に住む友達にも会いたくて、帰省する途中に、別の幼なじみが住む別所温泉で3人で会うことになりました」
「それまで別所温泉には行ったことがなかったのですが、いいカフェがあって、みんなでコーヒーを飲みました。とても居心地のいい店で、景色が心地よくて・・・その日は、温泉にも入らず2時間ほどの滞在だったのですが、『なんか、いい場所だったな。楽しかったな』という印象を持ったんです」とのことだ。
そして転機は突然訪れる。
「それから、1ヶ月ちょっと経った6月1日に、大好きだった祖母が亡くなったんです。さらに、その月のうちに父親までもが亡くなってしまった。もともと父親は脳梗塞を患っていて、1年くらい寝たきりで話しかけても返事もできないような状態だったのですが・・・」
家族を1ヶ月の間に2人も亡くしてしまうことは尋常な状況ではないが、それでも仕事があるため東京に戻らなくてはならない。
「6、7月は頻繁に富山と東京を行き来することになりました。ちょうど仕事が忙しくて、やらなきゃいけないことが山ほどあるのに手がつけられないし・・・」そうしたことから、松江さんはどんどんストレスを溜めていったという。そして・・・
「東京に帰るのがだんだん嫌になってきた(笑)『・・・東京もうやだ・・・田舎でいいかな?』と思うようになりました。でも、実家はめんどくさいなと思っていて・・・そこで『別所温泉。楽しかったなぁ』と思い出したんです」
「初めは“2拠点”にしようかとも思ったんですよ。東京の家はそのままにしておき、別所温泉にも部屋を借りる。家賃も3万円ぐらいで安かったんで。でも、・・・だとしても、いろいろお金かかるなぁと思って。じゃあ、『とりあえずこっちに住んでみて、ダメだったら、また東京に戻ればいいか』と思うようになりました」
こうなると松江さんの行動は早い。
「別所温泉に住む幼なじみに、『ちょっと住んでみようかな?』って相談したら、私を車に乗せて町を細かく案内してくれました」
そして東京に戻り、ネットで賃貸物件を探して、次に富山に帰省するタイミングで別所温泉に立ち寄り、物件を見せてもらったそうだ。
「そこは、それほど気に入らなくて・・・そうしたら、幼なじみの知り合いが、いい物件を紹介してくれたんです。その家はすごく気に入りました。初めて来た場所なのに『昔からここに住んでいたような』感じがしたんです」と松江さん。
「移住に関しては後から考えると、直感がすべていい方向に向かったと思います。そして、引っ越してきたのが9月末。だから、すごいスピードで移住することが決まったんです(笑)東京の部屋は引き払いました」ということだ。
しかし、フリーとはいえ仕事の基盤はあくまでも東京だ。その辺りはどのように考えたのだろう?
「仕事関係の人たちに『引っ越しても同じように仕事は続ける』と伝えたのですが『無理だよ住むのは・・・』って、不安がっていましたね。でも『もういいや!』って思いました。とりあえず住んでみようと決心したんです」
「それで、みんなに送別会をしてもらって移住したのに、仕事が忙しくてすぐに月に4回くらいのペースで東京に行くことになって『なんか、前よりも一緒に飲む機会が増えてない!?』って仕事仲間に言われたりしました(笑)」とのことだ。
会社勤めの人が移住するとなると「仕事をどうしよう?」と、まず考えるだろう。しかし、松江さんの場合、フリーの設計士であったためそのまま仕事を継続することができたというわけだ。
「だから『ちょっと遠くに引っ越した』という感覚なんです。別所温泉から上田まで出れば、東京に向かう新幹線も高速バスもある。・・・まぁ、車は買いましたけどね(笑)」
移住して良かったことを聞いてみると「ストレスが無くなりました。焦りもなくなったかも」。そして、「都会でお金を稼いでキラキラとした生活をしなければいけない」という意識も無くなったそうだ。
逆に、ネガティブな要素はなかったのか? と聞くと「冬が寒い(笑)。あと、やっぱり仕事は減りました。まあ、2017年は“別所ヴィレッジ”にかかりきりだったというのもありますが」と答えてくれた。