悠楽庵(長野市松代町)
象山神社は、幕末の松代藩士で思想家の佐久間象山(さくま・しょうざん/ぞうざん)を祀った神社だ。長野県歌『信濃の国』にも登場する、郷土の英雄的な存在でもある。
佐久間象山の没後50年(1913<大正2>年)を契機に建立が計画され、1938(昭和13)年に創建された神社ということで、悠楽庵の名前には、象山にこの場所で「悠=ゆったりと+楽=安らかに+庵=いおりを結んで欲しい」という地元の人々の思いが込められているのではないだろうか。
- 悠楽庵
住所:長野県長野市松代町松代1502
松代祝(ほうり)の泉(長野市松代町)
祝神社の創建年代は不詳だが、1,000年以上の歴史を持つ神社だと伝わっているそうだ。また、江戸時代には松代城下の町民を中心に広く信仰を集め、現在でも「お諏訪さん」と呼ばれ親しまれているという。
松代祝の泉の名前は、素直に神社の名前から付けられたと推察する。
- 松代祝(ほうり)の泉
住所:長野県長野市松代町松代567
清々庵(長野市松代町)
清々庵が立地するのは、長野市松代支所の敷地内だ。支所と言えばその町の行政の顔ともいえる存在だが、もしかしたらこのトイレには“町として考える松代のイメージ”が具現化されているのかもしれない。
つまり“江戸時代から栄えた松代藩=城下町”というイメージだ。トイレの名前には「清潔に・清潔に・いおりを結んで欲しい」という、町からのお願いが込められているのかもしれない。
- 清々庵
住所:長野県長野市松代町松代1360
地震観測所前公衆トイレ(長野市松代町)
地震観測所前公衆トイレは、その名前の通り「気象庁松代地震観測所」の駐車場近くにある。ゆえにトイレにもそのままの名前が付けられたと推察する。
松代地震観測所は、太平洋戦争の末期に日本政府の中枢を移転させるために構築された「松代大本営」の舞鶴山地下壕の跡地を利用した、日本最大級の地震観測施設だ。松代大本営の地下坑道は町内の3箇所で掘削されたが、舞鶴山地下壕には天皇・皇后の御座所、宮内省(※当時)の移転が予定されていた。
- 地震観測所前公衆トイレ
住所:長野県長野市松代町西条1149-1
泉の園(長野市信更町)
泉の園は、長野市信更町にある2つの「清水神社」に由来する名前だと推察した。つまり「清水=泉」というわけだ。清水神社は、信更町の三水地区と田野口地区にそれぞれ鎮座するが、両社ともいにしえより清水が湧き出していたと伝えられている。
信更町を流れる聖川にはホタルが生息しており、特に清水神社(田野口)周辺は湧き水も豊富で、ホタルの里としても知られており、毎年「信更町田野口ホタルまつり」が開催されている。
- 泉の園
住所:長野県長野市信更町氷ノ田3180-1
終わりに
今回は、長野市の南部(※犀川の南側)にある“名前を持つ公衆トイレ”10か所を紹介した。こうしてまとめて考察してみると、それぞれのトイレの名前は(多分に推測が含まれるが)なかなか趣深い印象だ。
後編では長野市の北部にあるトイレたちを紹介していく。
“名前を持つ公衆トイレ”が気になる!?長野県長野市でトイレの名前について考察する【後編】
[…] 前編からの続き。 […]