かつて関所があった宿場町にあるIT活用施設!?
江戸時代の五街道の一つ中山道は、信州を経由して江戸と京都を結んだかつての大動脈だ。
“中山道六十九次”の名前の通り道中には69の宿場があったが、長野県塩尻市の贄川(にえかわ)宿から岐阜県中津川市(旧・長野県山口村)の馬籠(まごめ)宿までの道のりは特に「木曽路」とも呼ばれ、11の宿場が今なお当時の面影を色濃く残している。
なかでも重要だった宿場が福島宿で、かつて木曽地域を治めた徳川御三家筆頭の家格をもつ尾張藩の木曽代官屋敷や、福島関所が置かれた。
福島宿があったのは現在の長野県木曽郡木曽町福島。その町の中心市街地、旧中山道沿いに建つのが「ふらっと木曽(ワークセンター木曽町)」だ。
ふらっと木曽は、町が運営するサテライトオフィスとキッチンを併設したコワーキングスペース(※)を提供する施設で、「暮らしをつくる。楽しくする」をコンセプトに、さまざまなイベントや学びの場としても活用されている。
2018(平成30)年にオープンしたこの施設の運営を当初から担ってきたのが、西尾絵里子(にしお・えりこ)さんと坂下佳奈(さかした・かな)さんだ。
木曽町出身で東京で働いていた西尾さんと、富山県出身で大阪で働いていた坂下さんは同時期に地域おこし協力隊(※)として木曽町に赴任。ふらっと木曽の運営を通して地域を盛り上げるべく活動を続けてきた。
しかし、そもそもなぜ2人は木曽町に移り住むことにしたのだろう? 取材時に開催されていたイベントのようすも交えつつ、ふらっと木曽でのこれまでの活動や今後についてお話をお聞きすることにした。
都会での生活で思ったこと
ーーまずは、出身地と生まれた年を教えてください。
坂下:富山県富山市出身の1991(平成3)年生まれです。地域おこし協力隊は2年目で、西尾さんと同時に赴任しました。
西尾:長野県木曽町出身です。いったん東京に出て故郷にUターンしたという形になります。1978(昭和53)年生まれです。
ーー地域おこし協力隊として木曽町に来るまでは、どこでどんな仕事をされていたんですか?
坂下:大阪の印刷会社で営業をしていました。 私は富山から大学進学の時に神戸に出て、卒業後は大阪で就職して5年ほど暮らしました。
働いて思ったのは、印刷とは紙を大量に消費する仕事だということです。印刷物が必要不可欠であることは理解しているのですが、毎日あまりに大量の紙を消費し続けることに・・・ちょっと疑問を持つようになっていきました。
あと、大阪では毎晩のように飲み歩いていたんですけど「もう少し有効に時間を使えないかな?」とも思っていました(笑)。それで「転職しようかな?」と考えるようになりました。
西尾: 私の場合は、最初は短大に進学するために木曽町から岐阜県に出ました。卒業後は長野県塩尻市で会社員として就職したのですが、東京へ転勤することになったんです。
東京は混沌としていて消費社会ですし・・・自分としてはあまり長く住むというイメージを持てませんでした。だから、「何かの機会に戻ってきたいなぁ」とは考えていたんです。それで、たまたま地域おこし協力隊の募集があって応募したら合格したという感じです。
ーー西尾さんは東京から故郷にUターンしたという形ですが、坂下さんはなぜ木曽町を選んだのでしょう?
坂下:一番大きかったのが、祖母の実家が木曽町にあったことです。
ーーなるほど。そういう繋がりがあったんですね。
坂下:はい(笑)。私は、転職を考えていた時期に地方創生(※)に興味を持ちました。なので、そうした分野を中心に転職活動をして、東京にあるコンサルティング会社に応募したりしていました。
坂下:ちょうどその頃、当時は誰も住んでいなかった祖母の実家を手放すと親に言われたんです。ならば、自分が住みたいなと思いました。だからちょうど転職と家を売るというタイミングが重なって、さらに運よく地域おこし協力隊の募集があって木曽町に来たという感じです。
ーーじゃあ今は、おばあちゃんの家に住んでるのですか?
坂下:そうです。おばあちゃんの家に住んでいます(笑)