千曲川の堤防が決壊した長野県長野市・長沼地区で、父が興した工務店を引き継ぐ“覚悟”とは!?

実家と近所の家を片付ける

そして、浸水していた地域から水が引いたタイミングで実家の片付けをはじめたそうだ。

知り合いに手伝ってもらいながら作業を進めた(提供:関さん)

「まずは、家に入り込んだ泥を出したり、水に浸かった畳を搬出したり・・・昔ながらの藁だけで作った畳を『本畳』といいますが、ものすごく重くて。知り合いにも手伝ってもらって、4人がかり運び出してたりして」そんな作業を2日間ほど続けたそうだ。

「でも、自分の家だけ作業を進めるのもあれだなと思って・・・長沼地区には“5人組”という“近所の家を5軒でひとまとまり”とする、最小のコミュニティが形成されています」

「なので、他の家はどんな状況なのかも確認しつつ協力し合いました。僕の家に手伝いに来てくれた知り合いにもお願いして、5人組の各家を同時に片付けていく感じです」。そして、そんな状況は1週間ほど続いた。

水に浸かってしまった家の中の物を運び出す(提供:関さん)

災害から10日ほど経過すると、災害ボランティアの方々が地域を訪れてくれるようになり、それぞれの家が直接ボランティアさんに作業を依頼することができるようになったそうだ。

関さんはそんなタイミングで、父親の経営していた工務店のお客さんの家を訪問することにした。

「親父が建てた家や、リフォームさせてもらったお宅など、被災した地域にはお客さんの家が50軒ほどありました」とのことで、関さんは自分が知りうる限りのお客さんの家を、一軒一軒自転車でまわりはじめる。

決断と覚悟

関さんは当初、お客さんの家をまわって被害状況を確認し、自分が知っている建設会社を紹介しようと考えていたという。

「僕が働いている場所は東京ですし・・・でも親父の工務店が受けた仕事でもあるし、自分のかつての職場でもある(※関さんには、父親の工務店で働いていた時期がある。詳細は後述)。だから、面倒をみなければいけないと思ったわけです」

父親の営んでいた工務店のお客さんの家を訪問することにした関さん

しかし、お客さんの反応は薄かったという。「たぶん工務店の息子が来て、違う建設会社を紹介するということにお客さんが違和感を持ったのだと思います」。「じゃあ、そっちで連絡しておいて」とか「また来てくれ」と、すべて関さんを通して進めるような話になることも多かったそうだ。

「何というか、だんだん逃げられない状況になっていきました(笑)」。そんな中で、あるお客さんの家に伺った時に関さんの心を突き動かす出来事が起きる。「その家は、親父ではなくかつて僕が直接担当した現場でした」

「大規模なリフォームを行ったお宅だったのですが、その家の奥さんが関さんに一所懸命やってもらったのにこんなことになっちゃったよ・・・』と涙ながらに話してくれて・・・僕も思わず涙が出てしまって・・・」

関さんが担当してリフォームを行ったお宅(提供:関さん)

このことが関さんのターニングポイントとなった。「この思いに答えなきゃいけない!」と。

お客さんの家を7軒ほどまわったところで、心が決まったと振り返る。「長野に戻らなきゃ・・・という使命感というか、お客さんに『安心してください』と言いたくなってしまったんです」

つまり、他の建設会社を紹介したところでお客さんたちは安心できなかったのだ。「そうなんです。でも、僕が長野に戻ってやらせてもらいますと答えたら、お客さんに『ありがとう』と言ってもらえました

「そして、その言葉に『ここでやっていこう!』という勇気をもらいました。だから、勤務先や家族に相談する前に僕は決めちゃったわけです(笑)」と笑う。

お客さんに「安心して下さい」と言いたくなってしまったんです

「思わず泣いてしまったあとで、お客さんの家を見せてもらった時に、その家の神棚に手を合わせたのですが・・・これは、どの家でも必ず行う儀式です。つまり工務店側からすると『これからこの家を工事させてもらいますのでよろしくお願いします』と祈っているわけで・・・神様にも嘘はつけないですしね(笑)」

今は毎日現場で奮闘する日々を送る(提供:関さん)

現在、奥さんと子供2人を所沢に残している状況とのことだが、来年の4月、子供たちの進級に合わせて一家揃って長野で暮らしていく予定とのことだ。

 

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