城下町で最古の商店街に現れた劇場の物語!長野県上田市にシアター&ゲストハウス「犀の角」ができるまで

静岡県舞台芸術センターで働く

そして、運良く採用されたので静岡に行くことになりました。静岡県舞台芸術センターは、自前の劇場と劇団を持ち、すべて県の予算で運営されている県の外郭団体(財団法人)です。

ーー劇団のスポンサーが自治体なんですか?

静岡県舞台芸術センターがアーティストを雇用しているという形になります。静岡はサッカーで有名になったから、県知事が「今度は文化で世界一になろう」という目標を立て、静岡県清水市出身の鈴木さんに芸術監督をお願いしようということになったそうです。今では世界的な評価を受けている劇団です。

ーーそこで荒井さんはどんな仕事をしたんですか?

いわゆる事務方ですね。演劇作品の企画や制作、劇場の施設管理から雑用まで何でもやりました。僕は鈴木さんの下で、ボロ雑巾のようにこき使われて(笑)。

ーー(笑)。でも、憧れの人だったわけじゃないですか? 何か思いは変わったりしましたか?

変わらないですね。すごいというか・・・かなりヤバい人でした(笑)。でも、ここでやるしかないと覚悟を決めました。

ゲストハウス利用者が使用できるランドリースペース

まわりの人達を支配的に押さえつけるタイプの人でしたね・・・でも、自分がすごいと思って観ていた作品は、ここまでやらないと作ることができないんだ! と思い知りました。

ーー言い方は悪いのですが「ここでは民主主義なんて関係ねぇんだ。作品がすべてなんだよ!」みたいな感じ?

まさに(笑)。だから、「芸術の前では何でもあり」ということを目の当たりにしたし、今では、モラハラ、パワハラ、セクハラとかいろいろ問題になりますが・・・当時はね。それだけ突き抜けてるからこそ結果が出ていると思っていました。

ーーそれも含めて才能ということ?

まぎれもない才能です。だから芸術監督である鈴木さんを絶対的な存在として、自分のすべてをかけて仕事をしました。もちろん敵をたくさん作ることにもなりましたが・・・そうするべきだと思いました。

ゲストハウスの宿泊スペースは劇場の隣の建物にある

ーーそんな多忙を極める中で、自分の演劇についてはどう考えていたんですか?

やっぱり、何らかの形で自分の演劇は作りたかった。もちろん、仕事をしながら他のことをするのは不可能だったのですが、そんな思いはずっと持ち続けていましたね。

結局、静岡県舞台芸術センターには32〜42歳の10年間在籍しました。体力的にもきつかったのですが、演劇しながら食えるなんて普通はありえないので・・・奇跡みたいに素晴らしい環境でした。

でも、ある時にちょっと待てよ? と思ったんです。この恵まれたポジションを自分が独占し続けるのは良くないし、もっと若くて将来が有望な演劇人にも経験させなければいけない、と考えるようになりました。そして辞めることにしたわけです。

ーー当時はもう結婚はされていたんですか?

はい。静岡県舞台芸術センターで知り合った同僚と結婚しました。

それで、地元の上田に戻って、なるべく仕事に時間を取られないように最低限の暮らしをしながら、自分の演劇を作ってみようと思いました。

現在の荒井ファミリー。奥さまの舞(まい)さんと娘さんの満ちるさんと共に

犀の角の立ち上げ

ーー上田で自分の劇団を作ろうと思ったということですか?

そうです。それで、まずは職探しをはじめました。それが42歳の時です。いろいろあって、週刊の地方紙で記事を書かせてもらえることになりました。意図してなかったのですが、ジャーナリストの端くれみたいな仕事をすることになったわけです(笑)。

ーーおお! 大学生になった頃に目指していた新聞記者ですね(笑)。

こういう巡り合わせか! と思いましたね(笑)。仕事の量がそれほど多くなかったのも都合が良かったんです。

ゲストハウスのシングルルーム

地域のお祭りのレポートや、サークル紹介の記事などを書きました。「社員にするから入社しない?」とも誘われたんですけど・・・社員になったら絶対に芝居はできないな、と思って(笑)。

ーー(笑)。

そしてその頃、犀の角の立ち上げに繋がる出来事がありました。

現在、犀の角が立地する場所はもともと上田商工信用組合という銀行だったのですが、2001(平成13)年に経営破綻して、建物を現在のオーナーが買い取ったそうです。

その後、北欧の家具や雑貨、ケーキを販売するお店がテナントとして入っていましたが、そのお店も出てしまい、僕が再び上田に帰ってきた頃には空き店舗になっていたんです。

ゲストハウスのセミシングルルーム

オーナーとしては、街の中心にある物件だし空き店舗のままにしておくのも良くないので、市役所の人や住人たちの参加を募って、市民ワークショップを開催していました。

ーー建物を活用するアイデアを広く募集していたということですよね?

そうです。で、僕もワークショップに参加したのですが、独特の雰囲気がある建物だし、いい感じの劇場が作れるなと思っていました。

その後も、東京からコンサルティング会社を呼んだりして、何回かワークショップは開催されましたが、最終的にその会社が出した計画案が僕は気に入りませんでした。それで、企画書を書きますから時間を頂けませんか とオーナーにお願いしたんです。

ゲストハウスのドミトリー

ーーおお! 劇場の実現のために自ら動いたわけですね(笑)。

はい。この場所を劇場にして、ゲストハウスと飲食スペース、レンタルスペースを併設するという事業計画書を1ヶ月で作りました。もちろん損益計算書付きで(笑)。

ーーそれはオーナーへのプレゼン資料ということですか?

そうです。それで「じゃあちょっとやってみる?」という話になったんです。だから、オーナーが僕の案を飲んでくれたおかげで、犀の角ははじまったわけです。

ゲストハウスのシャワールーム

建物の改装費用などはオーナーが出してくれることになりました。でも、これまでの自分の経験を活かした劇場にしたいじゃないですか? だから、別の会社を作って独立して運営させて欲しいとお願いしました。わがままな要求でしたが、飲んでくれて・・・

ーーオープンまでには、建物の改装の他にどんな準備をするんですか?

コンセプト設計がメインです。僕には劇場を運営するノウハウはあるけど、商売の経験がないし、ゲストハウスもやったことがない。あと、レンタルスペースはどうするのか? とか、そういうことを一つ一つ詰めていくわけです。

ゲストハウスの洗面ルーム

劇場のオープニングに合わせて「上田街中演劇祭」というイベントを開催することも決めました。そして、2016(平成28)年9月17日に劇場がオープンしました。

ーー劇場のオープンだけでなく、イベントも同時開催したということですね。

そうです。本当はゲストハウスも同時にオープンさせるつもりでしたが間に合わなくて・・・劇場にしても、前日まで幕が吊られていないような状態で(笑)、なんとかギリギリで間に合ったという感じです結局、ゲストハウスのオープンはその年の11月になりました。

ゲストハウスは吹き抜け構造の建物だ

 

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