城下町で最古の商店街に現れた劇場の物語!長野県上田市にシアター&ゲストハウス「犀の角」ができるまで

劇団の旗揚げと挫折

ーー新たな環境の中で作品を作っていくことになったんですね。

学校外の演劇の世界で活動するようになって、視野がものすごく広がったと思います。それまで、結構狭い世界で生きてきたんで。

ステージの脇にある座席

社会との接点や窓口みたいなものが自分にとっては演劇なんだと思いました。その世界で自分がどう振る舞うのか? そんなことを考えていましたね。

ーーそして、まわりには同じように演劇を“社会との接点や窓口”として考える、他の多くの劇団も存在するわけですよね?

だから悩みはじめるんですよね(笑)。そんな中で我々は何をすべきか? みたいな。でも、だんだんよくわからなくなってきて・・・

演劇で何を表現すればいいのか? 表現したいのか? そしてある程度、自分の内面的なことを書き尽くしてしまうと出すべきことがなくなってしまいました。では、出すべきことがなくなったら何をすればいいのか?

そうなった時にエアポケットみたいなところに落ちてしまって、悩みはじめちゃったんですよね。劇団を旗揚げして2〜3年で脚本は5〜6本ほど書いたんですけど、はたと書けなくなって・・・

店内のフライヤーが置かれたスペース

大学卒業後も就職をしないで演劇を続けよう思っていたし・・・その頃は、がんばった劇団がだんだん売れていくというような流れもあって、やれるところまでやってみようと思っていました。でも、あっという間に脚本が書けなくなってしまった(笑)。

ーー卒業してからはアルバイトをしながら生活する感じ?

土木作業や遺跡発掘のアルバイトをしながら、演劇には関わり続けていました。自分の現場がないときは先輩の劇団を手伝ったりして・・・

でも、もう無理だ。今はもう書けない、という感じになってしまって・・・大学を卒業してまだ1〜2年ですよ? 劇団員もだんだん僕から離れていきました。

2Fの一部は劇場の楽屋として利用されている

そして、芝居のプランを作っても誰も話を聞いてくれなくなって・・・圧倒的に1人になってしまった。これは、もうダメだなと思いました。それで、いったん実家に帰ることにしたんです。

ーー京都を引き払って?

そうです。上田に帰って働こうと思いました。それで、これまでずっと非日常的なことを考えてきたわけだし、地に足を付けてキャベツとか大根を売るのもいいかな? と思ってスーパーマーケットに就職しました。

故郷・上田での日々、そして静岡へ

ーー久々に帰ってきた上田の印象はどうでしたか? 中学生・・・浪人生以来ですよね。

帰ったのは25〜26歳の頃ですが、夢破れてじゃないですけど・・・この頃が一番辛かったです。結局スーパーマーケットには3年間ほど務めましたが・・・当時は、ここでずっと働いていたら死んでしまう・・・と思っていましたね(笑)。

ーー仕事が大変だったのですか?

何よりも、この仕事は僕がやらなくてもいいんじゃないか? という思いがありました。自分がこれまでやってきたこととあまりにもかけ離れていたので。

舞台の大道具や機材などが格納されたスペース

もちろん野菜を売るのはとても素敵なことなんだけど、それを活き活きとやってる人がいるのだから、そういう人たちに任せた方がいい。僕がその中で鬱々とやっていたら、お店にとってもお客さんに対しても迷惑だし・・・

ーーそれで辞めたんですね?

辞めました。それからはいろいろなアルバイトしながら、なんとか生きていたような感じですかね(笑)。そんな中で、上田市役所の臨時職員として美術展などの手伝いをする仕事に就きました。

3Fはダンススタジオとして貸し出している

文化と関わる仕事ができることも嬉しかったのですが、その職場では、自分が本当に興味があることについて再認識できる経験が多々ありました。例えば、公民館で昔のニュース映像の上映会をやったりすると、参加してくれたお年寄りたちがその映像を観て涙を流しているわけです。

そういう姿を目の当たりにして・・・何かがその場所で起きたり、動いたり、変化したりする・・・自分はそういうことに一番興味があるんだ、ということを改めて思い知らされるわけです。

ーーなるほど。

そんな日々の中で、「静岡県舞台芸術センター(SPAC)」で製作スタッフを募集していることを知ったんです。

静岡県舞台芸術センターについて語る荒井さん

僕は上田に帰ってからも、自分にとっての演劇とは何なのか? という疑問をずっと問い続けていました。そんな中で、鈴木忠志(すずき・ただし)さんと宮城聰(みやぎ・さとし)さんという演劇人を知ることになったんです。

大学の頃は、自分の演劇を途中で投げ出してしまった。でも、彼らは「演劇とはこういうものである!」と、きちんと言語化して自分たちの世界を構築していたんです。

ーーつまり、荒井さんにとっては理想的な演劇人だった?

そうです。自分にできなかったことをやり遂げて、世界的に認められている人がいるということに驚きました

彼らのことを知ったのは僕が27歳くらいの時です。それから活動を追いかけるようになり、脚本を読んだり、公演に行ったりしていたので、鈴木さんが静岡県舞台芸術センターの芸術監督に就任したという情報は知っていました。

犀の角のゲストハウスの談話室

そんなタイミングで募集があったわけです。自分でまた演劇を作りたいとは思っていたけれど・・・とにかく静岡に行けば、演劇を学び直せるんじゃないか? という思いもありました。

 

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