
かつて碓氷峠を越えた特急「あさま」
復路は国道18号線・旧道を行く
(※前編より続く)
長野県の県歌『信濃の国』の6番で『穿つ隧道二十六 夢にもこゆる汽車の道』と歌われ、群馬県・横川駅と長野県・軽井沢駅を、交通の難所である碓氷峠を越えて繋いだ旧・信越本線。
前編では、その廃線跡に整備された遊歩道「アプトの道」を「碓氷峠鉄道文化むら」から「旧熊ノ平駅」まで実際に歩いてみた。今回の記事はその後編となる。

旧熊ノ平駅。アプトの道の折り返し地点
折り返し地点にて考える。
このままアプトの道を戻ってもいいが、国道18号線の旧道(以下、旧道)を歩けば、もしかしてここに来る時に歩いて渡ったレンガ橋を、少し離れた場所から見ることができるのではないか?(つまり、橋は渡っている時にはその姿がよく見えないので・・・)
ということで、熊ノ平駐車場から旧道を下ってみることにした。

熊ノ平駐車場から復路のスタート

近くに設置されていたガイドマップ
旧道は、アプトの道とほぼ並行するルートだ。交通量はそれほど多くないが、カーブが連続する道路として有名で、横川と軽井沢の間に184のカーブがある。見通しも良くないし、一部を除くと歩行者はほぼ皆無なので、注意して進もう。

近くに「カーブ82」の表示が。めがね橋までは2.6km

さて出発! 熊ノ平駐車場沿いの旧道では工事が行われていた。近づいてみると・・・

「ぐんまちゃん(群馬県のキャラクター)」が! しかも、泥だらけで働いている・・・健気だ

こちらは「現場監督」バージョン? “安全第一”のヘルメットが似合う

旧道に歩道はないので車に注意して進む。しばらく下って行くと・・・

予想通り第6橋梁が見えてくる。さっき、あの橋の上を歩いたんだよな・・・

詳しい解説が設置されていた。やはり旧道を歩くのも“あり”だ
解説には、信越本線がどのような順番で建設されたのか記載されていた。
まず1884(明治17)年に、上野〜高崎間が、1886(明治19)〜1889(明治21)年にかけて、直江津〜軽井沢間が開通。そして1893(明治26)年、最後に横川〜軽井沢間が開通したことで、東京・群馬・長野・新潟を結ぶ鉄道が完成したとのこと。
しかし、冷静に考えると明治維新からたった26年で建設したということだよね? すごいスピード感だ。
さて、旧道をさらに下って行くと・・・

第5橋梁が見えた。ここからもアプトの道に入れる

続いて、第4橋梁。橋の上を人が歩いているのがわかる
アプトの道を歩いている時には気がつかなかったが、小さな橋もそれぞれレンガが積まれたアーチ橋になっていおりかわいい。

第6号トンネルの横穴が見える。さらに下って行くと・・・

めがね橋駐車場の案内が!「カーブ50」の表示もある。ここまで32回もカーブして来たのか・・・

めがね橋駐車場。富山から来た観光バスが停まっていた

駐車場からめがね橋までは歩道が整備されている。そして前方に見えるのは・・・

第4橋梁「めがね橋」
めがね橋には駐車場もあり、沿線のシンボル的な存在でもあるため見学者は多い。また、旧道のすぐ側に建っているので、車で通るだけでも間違いなくその堂々たる姿に気がつくことだろう。
さて、ここまで熊ノ平駐車場から旧道を歩くことによって、目論見通りレンガ橋を少し離れた場所から見ることができた。目的は達したので、めがね橋からアプトの道に戻ることにする。
と、ここからはひたすらてくてく歩き・・・アプトの道の起点「碓氷峠鉄道文化むら」へと戻った。

ただいま!
出発したのが9:00で、戻ってきたのが13:00。写真を撮ったり、解説を読んだり、寄り道しながらではあったが往復で4時間かかったことになる。スマートフォンの万歩計アプリを確認すると21,340歩だった。

筆者はウォーキングの月間記録を達成・・・
歩き終えた率直な感想としては「・・・明日絶対筋肉痛」。それにしても・・・腹がへった。