カフェ「cocoro(こころ)」の開店
夫婦2人がその気になったこともあり、話はトントン拍子に進んでいく。「自宅にある小屋は狭いから違う物件を探す」ことになり、そして「生活もあるからお店として何かをやろう」という流れになっていったそうだ。
しかし、勝治さんはここまでアパレル業界一筋だし、一ノ木さんにしても飲食店のパートとして働いたことがある、という経験しかない。
そんな頃、ちょうどカフェの開業セミナーが開催されることを知ったそうだ。「無料だし、話を聞くだけ聞いてみようか? と思い参加してみると、話がどんどん具体的になっていきました。今思えば、お金も余計にかかったかもしれませんが(笑)」と当時を振り返る。
カフェをオープンすることに決め、開業セミナーのアドバイスも参考にしたが、一ノ木さんの中ではお店で提供するメニューのイメージは、最初から決まっていたという。
「パンとスープを提供したいと思っていました。もともと、ゆっくりくつろいでもらいたいというのが、立ち上げの理由だったので。出来合いのものでなく、体にいいものを自分で作ることに決めました」ということだ。
お店の物件は勝治さんが2階建てのログハウスを見つけてきたそうで、「売り物件だったのですが、どうしてもそこが気になる」ということで、大家さんに確認すると賃貸でもOKだということになり、借りることができたそうだ。
カフェの名前は「cocoro(こころ)」に決めた。しかし、開店のメドはたったが出費もかさんだそうで「借り入れもしたし、退職金も使ってしまいました」と当時を振り返る。
カフェの経営と移転の理由
こうして、2009(平成21)年に「cocoro」を開店した一ノ木さん夫妻だが、お店はどのような感じだったのだろう?
「お店には私たち夫婦しかいないし、夫は家の台所にも立ったことがなかった。だから作るのは私一人です(笑)」。毎日パンを焼いてスープを数種類を作るというのは本当に過酷な作業だったという。
パン作りについては「お店をはじめる1年前に家のレンジが壊れて、生まれてはじめてオーブンレンジを手に入れたんです。それが楽しくて嬉しくて(笑)。毎日何かを焼いていたんですね。でも、スキルとしては本当にそれだけでした(笑)」と笑う。
「だから、最初にお客さんが来た時は手が震えましたよ。『私が作ったものでお代を頂いてもいいのだろうか?』って(笑)」。聞いているこちらも恐ろしくなるような話だが、お店は順調に滑り出したらしい。
「たくさんのお客さんが来てくださいました。お店の2階も客席にして、最初は私が作って夫が運ぶという役割でしたが、数ヶ月続けているうちに、夫も料理が作れるようになり、スープとコーヒーを担当するようになりましたね」
それから4年ほど、営業時間を変更したり、モーニングを出すようにしたりと絶えず改善をしつつカフェの営業を続けたが、「夫が腰を痛めちゃったんですよ。料理を運んで毎日2階に上がり続けていたらずいぶんひどくなってしまって・・・」ということで閉店を決意したそうだ。
「お店の閉店まであと1ヶ月というタイミングで、『これまで、この地で商売をさせてもらったことのお礼もかねて近くの氏神様に行こう』と、夫と2人でお参りにいきました。そこで、「ありがとうございました。お世話になりました」と参拝した帰り道・・・国道沿いに空き店舗を見つけて、夫が『ここが気になる!』と突然言い出したんです(笑)」
よくわからない話だ。閉店を決めたのに、なぜ空き店舗が気になるのだろう? しかも、閉店しようとしているお店のすぐ近くなのではないのだろうか?
「そうです(笑)。それで、物件を管理している不動屋さんも近くにあったので、しっかり内部も見せていただきました。そうしたら、夫が『ここならできそうな気がする』って言ったんですよ(笑)」
しかし、「あなたが腰が痛いって言うからやめることに決めたんでしょ!?」と、一ノ木さんは思わなかったのだろうか?
「普通は思いますよね(笑)。しかも、やめようとしているお店の大家さんは『しばらく家賃はいらないから、続けたらいいよ』と言ってくれていたんですよ? それにもかかわらず、すぐ近くに移転することにしたわけで・・・」でも、なぜ急に方針を変えることができたのだろう?
「それは、2人共そうなんですけど、『あ! ここ!』とか『あ、これはヤダ!』とか、ものごとを判断する時にインスピレーションが『ピッ!』と降ってくるんですよ(笑)。だから移住することもできたんだと思います(笑)」
「そんな感じですから『移転します』というお知らせも、お店には貼れないわけです。大家さんに申し訳なくて(笑)」。結局、お店の営業を終わらせ、自分たちで荷物もすべて移転先へ移し、数ヶ月後には新しいお店をオープンさせたということだ。