長野県小諸市に移住して遊園地の蒸しパン屋さん「粉花」を開店したわけ

同棲生活と結婚そして出産

「今の夫が、大阪の専門学校に通うことに決まって『三重を出て大阪で一緒に暮らさないか?』と誘ってくれたんですよ(笑)」と一ノ木さんは笑う。

「家族に『探さないでください』と一筆書いて、高校を卒業するとすぐに家を出ました」

一ノ木さんが高校2年の時に、母親が2度目の再婚をしており、「お母さんが幸せになるならいいよ」と事実を受け入れ、3人目となる父には「母をお願いします」と書き残して家を出たそうだ。しかし、彼女自身の進路はどうなっていたのだろう?

「地元の企業に就職することが決まってました。でも、内定を蹴って家を出たんです(笑)。大阪ではカフェで働きはじめました」

さらに進んでいくとまた粉花の看板が!遊園地も見えてきた

こうして、専門学校に通う勝治さんとの同棲生活をスタートさせたわけだが、案の定というか、若さ故と言うべきなのか・・・「1年ほど経った頃、妊娠してしまいました。当時の言葉だと『できちゃった婚』? 今では『授かり婚』って言うらしいですけど(笑)」

なんだかドラマみたいなストーリーですね。と振ってみると「そうでしょ(笑)。それで籍を入れて、出産時にはいったん実家に帰ったんですけど、子供が生まれてからは大阪で彼の卒業を待ちました」とのことだ。

子供が生まれた以上、生活を安定させるのが最も重要だと考えた2人は、三重に戻ることを決意勝治さんは地元の知人の紹介で、紳士服店への就職が決まり、その後ジーンズションプのチェーン店に転職。ちょうど事業の拡大を進めるタイミングでの入社だったとのことで、多店舗化を進める業務に携わることになり、三重、愛知、岐阜、静岡をたびたび転勤することになったそうだ。

遊園地に到着!「まってたよたのしくあそぼー」というゆるい看板が目印

一ノ木さんは、子育てをしつつ次男を出産。子供が大きくなってからはさまざまな職種でパートとして働いたそうだ。そんな中、勝治さんの父親が心臓病で倒れてしまう。

「それで『実家に帰ってきてもらえないか?』という話になって・・・夫の実家には大きな畑があり、そこに「2世帯住宅を建てるからどうだろう?」と提案されました

「ちょうど長男が小学校に入学するタイミングだったこともあり、そうすることに決めました。親の世帯とは完全に分離した大きな2世帯住宅を建ててもらって、三重に戻ったんです。夫も自宅から通える範囲で仕事ができるように調整してもらいました」ということだ。

遊園地に入ったら右側の階段を下りる

同棲生活からはじまった2人の生活は、この時点でようやく安定したように見えるが・・・「生活は安定しましたね。住む場所がきちんと定まって、夫は自宅から仕事に出かける毎日。でもそれは私が目指した生活ではなかった・・・ということがあとからわかりました(笑)

インスピレーション

「ずっと『なぜ生きているんだろう?』と考え続けてきましたが、子供が生まれたことによって、『生きていていいんだ』と思えたんですね」。そのことは、一ノ木さんに精神的な安定をもたらしたという。

階段を下りたところにあるのが粉花だ

「次男が登校拒否になった時も『あらあら! 私の子だわ』(笑)と思いました。変な話ですが息子が不安定でありながらも『これが幸せというものなのかな?』と強く感じたんです。だから、空に向かって『神様ありがとう!』と言ったんですよ

「そうしたら神様は『わかったよ。じゃあもっといろいろ遊ぼう!』と言ったんです」

ちょっと理解しがたいやりとりだが、ここではいったん「インスピレーション」という言葉に置き換えて話を先に進めることにする。それは試練を与えられたというイメージですか? と聞いてみると、「試練というか、『次へ進みなさい』というような意味だと思いました」と語る。

信州地粉の蒸しぱん

この頃、一ノ木さんは友人に蜂蜜専門店に連れて行ってもらったところ、すっかり気に入ってしまったそうだ。後日、勝治さんを連れて再びお店を訪問したところ、アルバイト募集の貼り紙があり「ここで仕事をしたらどう? ここの方が合ってるよ」と言われたという。

「なんでそんなことを言うんだろう?」と不思議に思ったものの、結局働くことになったそうで「わかったことは、蜂蜜専門店に来るお客さんは疲れている方が多いということ」。そして「そんなお客さんたちが、ゆっくりできる場所があればいいな」と思うようになっていったそうだ。

「それが、カフェをはじめるきっかけにもなったのですが、その時点では、そんなことは全然考えていません。なのに、夫には『ゆっくりお茶が飲める場所があればいいと思う』とか、この口が勝手にしゃべっているんですよ(笑)」

この日売られていた味は6種類。価格は100〜150円だ

そんな思いは、ますます強くなっていったという。「自宅の敷地にはもともと畑だったこともあって、小さな小屋が建っていたんです。そこを改装して『ここでお茶が飲めるようにするといいかも』と話すようになっていました」

最初は勝治さんも「そんなことは自分たちではできないよ」と答えていたそうだが、ある日突然「会社を辞めるわ。一緒にやろうか?と言い出したそうだ。

 

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