「日本では国内で消費される石油のほぼすべてを輸入に頼っている」。多くの人が常識として理解している事実の一つだろう。
実際には、その消費量と比較するとわずかな量ではあるものの、北海道や、秋田県、新潟県を中心に石油(原油)は国内でも産出されている。
実は、かつて長野県にも油田があり、そこで産出した原油をもとに日本最初の石油会社と製油所が設立されたという。
その油田とは、長野県長野市にある「浅川油田」のことだ。というわけで、まずは現地へと向かった。
浅川ループラインから浅川油田へ
「浅川油田」があるのは、長野県長野市の北部に位置する浅川地区だ。
浅川ループライン(県道506号戸隠高原浅川線)は、長野市街地から飯縄高原や戸隠高原へのメインルートとして利用されている。その名の通り途中に“2本のループ橋”が架けられた道路だ。
かつて長野市街地から、飯縄高原や戸隠高原へのアクセスには、有料道路の「戸隠バードライン」が利用されていた。しかし、1985(昭和60年)年7月に、長野市の地附山で大規模な地すべり災害が発生。多くの住宅や付近の道路が流失し、戸隠バードラインも一部廃道となった。
この災害は、原因をめぐって裁判となったが、1997(平成9)年6月に、「戸隠バードラインの管理の欠陥が地すべりの原因になった」という判決が下され、長野県と長野市にその責任があったと、当時の田中康夫知事が認め謝罪している。
災害後、廃道区間の迂回路として市道が利用されたが、“七曲り(ななまがり)”と呼ばれるヘアピンカーブが連続する区間がある狭い道で、路線バスを除くと大型車の通行ができなかった。
このため、1998(平成10)年の長野オリンピック開催を契機として、会場の一つである飯縄スキー場へのアクセスを容易にしなければならないという理由もあり、1996(平成8)年に浅川ループラインは開通した。
ループ橋が見えたら、浅川油田はすぐ近くだ。