ハナブサレザーの木下さんがバイクに乗ったサンタさん「ジングルライダー」になるまで

革職人としてのスタート

ーーそうして、日本に帰ったと・・・

そうです。飯田の実家に帰ってきました。一応長男でしたし・・・最初はとりあえずアルバイトをしていたんですけど、地元に革製のベルトを作る会社があって、そこにお世話になることにしました。それが24歳の時だから、1998(平成10)年ですね。

当時を振り返る木下さん

話は前後しますが、学生時代は松戸に住んでいたので、東京に出る時はJR常磐線を使っていました。だから終点の上野に行くことが多かったんです。

当時はちょうど“アメカジ・ブーム”で、上野のアメ横には、革を使ったアクセサリがたくさん売っていました。東急ハンズで材料を手に入れることもできたし、友達からよく材料費だけもらって革のアクセサリを自作していたんですよ

ーー学生の頃から革製品を自分で作っていた?

革が好きだったんです。それで、勤めることになったベルト屋さんは本革を扱っていたので「この会社ならいいかな?」という感じで入社を決めました。

その会社の工場長には、すごくかわいがってもらいましたね。本当に革に関するあらゆることを学ばせてくれた。ミシンの使い方や、革の裁断方法などすべての行程を。もう、僕の大師匠ですね。

ベルト屋さんでの修業時代(提供:木下さん)

工場長からは多くのことを学びましたが、忘れられないエピソードがあります。特価品ってあるじゃないですか? よく店頭に並んでる、革の端切れや安い金具を使った100円くらいの客寄せ商品のことです。もちろん売っても利益なんて出ない赤字商品なんですけど、んなベルトを工場長は自ら磨くんですよ。

当時の僕にはそれが不思議で、しかも、工場長って高い給料をもらっているわけじゃないですか? だから「なんで、そんな赤字のベルトを磨くんですか? 作業するだけ損じゃないですか」と聞いたんです。

ーー今だったら「費用対効果がー!」とか言われそうですよね(笑)

(笑)。でも、その時「木下君。たしかにこれは100円だよ。でも、それは人間が作った価値であって、ここに命があったということを忘れないで」と言ってくれたんです。

ーーそれは、人間が命を持つ動物から、革を剥ぎ取っているという事実を忘れるなということ?

そうなんです。ものづくりに携わる人間として、素材への感謝や、無駄にしないという心構えを持って欲しいという意味だと思いました。工場長はそれ以上は何も言わなかったんですけど・・・僕は未だにその言葉は忘れずに心の中に置いています。

工房の中にあった革ベルトの素材

ーーそれは響く言葉ですね。それで、結婚されたのはその頃ですか?

その会社に入社してから結婚しました。でも、しばらくして妊娠したということもあって、仕事はすごく楽しかったんですけど、金銭的な面では不安を抱えていました。

入社時は就職氷河期で、それからずっと平成不況の真っ只中で働いてきたこともあって、給料もそれほど良くなかったですし・・・

それで当時、行政書士事務所を舞台にしたかっこいいテレビドラマが放映されていて、ちょっとあこがれちゃったんです。スーツ着て働くことに(笑)

スーツを着て働きたい!

職安で探してみると税理士事務所の求人が2件あって、そのうちの1社が、家から20分くらいの場所にあったんです。でも、募集の条件には「簿記2級が必須」と書いてありました・・・そもそも簿記が何かすらわかってない状態だったんですけどね(笑)

でも、「僕は夢をかなえなきゃいけない!」と思ったんです。かっこいいドラマの主人公になるためにも。

ーーそこかい!

そう(笑)。だから“資格が無いごとき”で、就職できないのは納得できないから、面接に行くだけ行ってみようと思ったんです。

面接では「木下君。うちの募集要項は見てくれたかな?」と言われて・・・「履歴書の資格の欄には、簿記2級って書いてないけど、書き忘れなのかな?」と聞かれたので、「僕は資格を持っていませんよ」と答えたんです。

ーーおー!

「でも、資格はありませんけど、僕はすごいベルトを作ることができます!」と、革ベルトについて熱く語ったんですよ(笑)

取材時も熱く語ってくれていた

ーー(笑)

結果的には「お前は面白い!」と言ってくれました(笑)。ラクビー留学をしていたことも評価してくれたみたいで、「2ヶ月後に簿記2級の試験があるから、それまでは試用期間ということでいいかな? 合格したら正式に雇うから」と言ってくれました。れからは必死に簿記の勉強をしましたね(笑)

ーーそれで、革ベルトの会社を辞めて転職したんですか?

そうです。工場長が何度も止めてくれたんですけど・・・結局その会社には3年半いたことになります。

ーーそして、念願のスーツを買ったんですね

ユニクロの安いやつですけど(笑)。そして、なんとか簿記の試験にも合格して、税理士事務所で仕事をしていくことになりました。

仕事の内容は、担当する会社の帳簿を月に1回チェックすること。同世代の社長たちとも仕事をするようになって・・・かわいがってもらいましたね。「お前、会計事務所っぽくなくて面白い奴だなぁ」という感じで(笑)

社長って、自分の会社の社員には言えないことがあるじゃないですか? 弱気な態度も見せられないし・・・でも、僕には打ち解けてくれたと思います。その頃に知り合った社長のなかには、今でも困った時に助けてくれる人がいますし、ハナブサレザーのお客さんになってくれた人もいます。

現在のハナブサレザーの制作スペース

ーーかなりディープに付き合っていたんですね

そうなんです。それで当時よく「お前は数字だけで語ってる。偉そうなこと言うな」とか、「数字だけではわからない経営ってものがある。理解できないだろう?」とか言われて(笑)・・・それで、「何でもいいから自分でやってみろ!」とか言うわけです。

ーー数字を見るのが税理士の仕事だと思いますけどね・・・それで、木下さんに「起業してみろ!」と言うわけですね?

そうです。でも、だんだん「俺だってやればできる!」という気になってきて、「わかりました。何かやります」と、何の計画も無いまま税理士事務所を辞めちゃったんです(笑)。結局、在籍していたのは4年くらいですね。

 

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