春宮から秋宮へ向かう
さて、次は秋宮へと向かう。
長野県岡谷市で創業した片倉組(片倉工業)は、明治・大正期に“シルクエンペラー”とも呼ばれた2代片倉兼太郎により、当時の日本の主要輸出品であった製糸業で急成長して、片倉財閥を構築した。
2014(平成26)年に世界文化遺産に指定された「富岡製糸場」の民間最後のオーナー企業でもあり、世界遺産登録にいたるまで、製糸場を維持・管理したことでも知られる。
諏訪の町のあちこちに片倉財閥にまつわる、史跡やゆかりの地が残っているので、これらを目当てに散策するのも楽しいだろう。ビックリするような“お金持ちエピソード”が満載だ。
そして、さらに旧中山道を進んでいくと・・・
下諏訪宿は、共に江戸時代の五街道である中山道六十九次の29番目、そして甲州街道(甲州道中)の39番目にして終点だった宿場だ。
里と丁(町)は、かつて用いられていた距離(長さ)の単位で、時代によってその数値は異なるが、1里を約3.9km(1里=36町)としてざっくり現在の距離に換算すると、中山道で江戸までが約216km、甲州街道では約209kmということになる。
そして、まもなく・・・・
春宮から秋宮へと続く道は、いにしえの旧中山道や下諏訪宿など歴史を感じさせる、見どころも多い楽しい道だった。距離もそれほどでもないので散策するのにもうってつけだ。
さて、この地を訪れた“もうひとつの目的”を果たしに、再び下諏訪駅へ向かうことにする。