徒歩で参拝する諏訪大社下社の春宮と秋宮!腹ごしらえは老舗の食堂「チャボ食堂」へ!

春宮から秋宮へ向かう

さて、次は秋宮へと向かう。

春宮から秋宮へは1.2kmほどだ。しばらく進んで・・・

来た方向を振り返ると「右中山道、左諏訪宮」と記された石碑が。ここからは旧中山道となる

一里塚跡の石碑があった

下諏訪宿と書かれた案内板。春宮から400m、秋宮まであと800mの地点

江戸時代に建てられたという旧商家を利用した交流施設「伏見屋邸」

街道沿いの御作田神社には「片倉組」の文字が、おお!シルクエンペラー

長野県岡谷市で創業した片倉組(片倉工業)は、明治・大正期に“シルクエンペラー”とも呼ばれた2代片倉兼太郎により、当時の日本の主要輸出品であった製糸業で急成長して、片倉財閥を構築した。

2014(平成26)年に世界文化遺産に指定された「富岡製糸場」の民間最後のオーナー企業でもあり、世界遺産登録にいたるまで、製糸場を維持・管理したことでも知られる。

諏訪の町のあちこちに片倉財閥にまつわる、史跡やゆかりの地が残っているので、これらを目当てに散策するのも楽しいだろう。ビックリするような“お金持ちエピソード”が満載だ。

そして、さらに旧中山道を進んでいくと・・・

下諏訪宿の本陣が。中山道随一と称された庭園を持つ

「甲州道中 中山道合流之地」と記された石碑

下諏訪宿は、共に江戸時代の五街道である中山道六十九次の29番目、そして甲州街道(甲州道中)の39番目にして終点だった宿場だ。

「旧中山道:江戸まで五十五里七丁、旧甲州道中:江戸まで五十三里十一丁」とある

里と丁(町)は、かつて用いられていた距離(長さ)の単位で、時代によってその数値は異なるが、1里を約3.9km(1里=36町)としてざっくり現在の距離に換算すると、中山道で江戸までが約216km、甲州街道では約209kmということになる。

そして、まもなく・・・・

諏訪大社下社秋宮に到着!

秋宮の神楽殿

拝殿。ここに8月1日から翌年の1月31日まで八坂刀売神が鎮座するということか!

秋宮一之御柱

秋宮に続く表参道の大社通りは、広々としており眺めもいい

春宮から秋宮へと続く道は、いにしえの旧中山道や下諏訪宿など歴史を感じさせる、見どころも多い楽しい道だった。距離もそれほどでもないので散策するのにもうってつけだ。

さて、この地を訪れた“もうひとつの目的”を果たしに、再び下諏訪駅へ向かうことにする。

 

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