江戸時代の五街道のひとつ中山道の難所、旧碓氷峠は信州と上州の国境にあり、いにしえの時代から交通の要衝であり続けてきた。
中山道の道筋は、古代から中世にかけての幹線道路である東山道をほぼ踏襲しているが、時代と共に、この地を“峠越え”する場所は推移してきた。
東山道の時代は、現在の碓氷峠の南側に位置する入山峠を、江戸時代となり中山道が整備されてからは旧碓氷峠を人々は往来した。
そして明治時代になると、碓氷峠を超える国道18号線(旧道)と、信越本線の碓氷トンネルが開通。戦後には、国道18号線碓氷バイパスが開通し再び入山峠を超えるようになり、そして現在では、上信越自動車道と北陸新幹線がこの地を貫いている。
今回注目するのは旧碓氷峠だ。
現在の住所では、長野県北佐久郡軽井沢町と群馬県安中市松井田町にある県境ということになるが、そこに、“県境をまたぐ神社”が鎮座するという・・・いったいどういうことなのだろう?
というわけで、いろいろ気になるので旧碓氷峠にあるというその神社に出かけてみることにした。
旧碓氷峠にある神社たち
まずは地図を確認してみる。
GoogleMapを見てみると、熊野神社・本宮がある場所を県境の境界線が貫いていることがわかる。
特徴(お知らせ)
当神社は一つのお宮でございますが二つの宗教法人が顕在(けんざい)し、両神社はそれぞれの宮司、責任役員、氏子総代にて維持されております。
御神札(おふだ)・お守りも別々でございます。
長野県(信州)鎮座・・・熊野皇大(こうたい)神社
群馬県(上州)鎮座・・・熊野神社
なるほど・・・でも、わかったようなわからないような・・・
あとで、熊野皇大神社の禰宜さんにお伺いしたところ、2つの宗教法人によって神社が運営されるようになったのは、戦後、宗教法人法が制定され、都道府県ごとに登録することが必要になったためで、もともとは1つの神社として成り立っていたとのことだ。
現在では2つの宗教法人によって、神社を運営しているそうだが、面白いのがそれぞれが立地する住所だ。
長野県側に鎮座するのが熊野皇大神社で軽井沢町峠町1番地、群馬県側に鎮座するのが熊野神社で安中市松井田町峠1番地ということで、どちらも住所が“峠の1番地”なのだ。
そして、山門をくぐる際に足下を見てみると・・・
県境にあるため一つの境内ですが二つの神社があります。
熊野皇大(こうたい)神社 長野県軽井沢町 左側
熊野神社 群馬県安中市 右側お守り ご祈祷 ご寄付 社務所なども別になっています。
軽井沢側は、右奥の建物か、階段下の社務所にて承ります。
門の社務所は、群馬県側です。お間違いのないようにお気をつけください。
・・・なんか、いろいろすごい。
上州側の御朱印
当社では筆字で一つ一つ書き、御神威の証の押印を行っています。
帳面忘れた方の用意も御座います。壱体 500円
碓氷峠 熊野神社社務所
・・・なるほど。