移住の先駆者!長野県上田市・別所温泉の「アースワークス」が切り開いてきた道とは?

東京から上田・別所温泉へ

そんな、ニューヨークでの生活を続けたルミさんとロベルトさんだったが、1984〜85(昭和59〜60)年ごろに日本に戻ることになる。

「あまりにも忙しくて疲れてしまった。家では寝るだけだし、朝はご飯を作っている暇も無い。思っていた生活と真逆の方向に行ってしまって・・・『いやこれじゃない・・・やっぱり日本の田舎に住もう』ということになったんです」

とりあえず2人は、東京にあるルミさんの実家に戻ったそうだ。

「でも、東京はニューヨークとたいして変わらないし。それで、田舎に移住しようといろいろと計画を練っていました」。そんな時、ルミさんのお兄さんが「もし、信州の上田に行くんだったら」と、知り合いを紹介してくれたとのこと。

「実際に上田に行くと、その方は本当に親切にしてくれました。自分の家に泊めてくれたり、帰る時には野菜をたくさん持たせてくれたりしてね」そういう親切がとても身に沁みたとのこと。

そんな出会いもあり「上田って本当にいいところだな」と思ったそうだが、「もうちょっと長野県内を見てみたい」ということで、車で寝泊まりしながら県内を巡ってみたそうだ。

「美麻村(現:大町市)や、大岡村(現:長野市)あたりにも行ってね・・・空き家はたくさんあるし、アルプスも見えるし・・・いい場所はたくさんありましたね」と当時を振り返る。

玄関に飾られていたロベルトさんの木工作品

「でも、そういう山間地の村は、街に出るのに30〜40分くらいはかかる。やっぱり東京生まれだし、個展を開催することを考えても東京には近い方がいい」と2人は考えたそうだ。

「なおかつ、長野県内でとなると・・・結局『上田にしようか?』ということになった」。そのころ、上田から東京・上野は特急で2時間45分。まだ、新幹線も高速道路も開通していない時代のことだ。

「それで、上田の兄の知り合いに『別所温泉に行ってごらん』と勧められて行ってみた。そして、この場所(現在の住居・工房)の近くを車で通った時に、2人で『すごくいいところだね!』と感動しちゃって・・・そこからさらに山に入っていくと空き家があったんです」とルミさん。

「もう、ほんとに茅葺き屋根の『まんが日本昔ばなし』に出てくるようなすごく素敵な家が(笑)」

別所温泉の最初の家

2人は近くの集落で、空き家の持ち主が誰なのか教えてもらい、大家さんを訪ねたそうだ。

「大家さんは『あんなところに住むの?』って驚いていたけど、とても親切にしてくれました」と当時を振り返る。

制作途中の陶器が並ぶ棚

家はボロボロだったため、ロベルトさんが中心となり1年ほどかけて改装することになる。

「家には、もちろん陶芸の仕事場も作りましたが・・・子供が生まれたんです」。そして2人は、子育てに追われつつも徐々にその地での生活に慣れていったそうだ。

しかし、ここで疑問が。突然東京から引っ越し、家を改装する資金や日々の生活に必要なお金はどのように賄ったのだろう? 聞いてみると意外な方法でこの問題をクリアしていた。

英語学校を始めたんです(笑)。地元の建設会社の社長に相談したら『うちの事務所の部屋が空いてるから』と無料で使わせてもらえることになりました」。ちなみに、当時の上田には外国人はいなかったそうだ。

「上田の市街地で『ブルックリン・ブリッジ・スクール』という名前の英語学校を始めました。たくさんの人が習いに来てくれて・・・そのうちに地元の大学や、企業からも講師の依頼があったりして繁盛したんです(笑)」とルミさん。

ちょうど当時は、長野にオリンピックを招致することが決まり、地元の人の間で「英語を勉強しよう!」という機運が高まっていたタイミングだったという。

ルミさんの制作スペース

「だから、昼は家を改装して、夜は英語を教える。そのうちに『子供たちにも英語を教えてくれ』とお願いされたんだけど、ロベルトは子供が苦手なんです。英語しかしゃべらないから(笑)」

結局、子供たちにはルミさんが教えることになったそうで「うちの子供も小さかったんだけど、ロベルトに預けて、私が英語学校で教えて・・・」と、また目がまわるような毎日になってしまったそうだ。

しかし、英語を教えることで経済的な基盤は安定した。そして、家の改装が終わり、陶芸を再開してからも英語学校は10年ほど続けることになる。ルミさんは「まぁ、若かったからできたんだと思う・・・ロベルトはもう40代後半だったけど(笑)」と笑う。

工房内に設置された電気釜

そのように、忙しいながらも充実した生活を送っていたが、さまざまな理由が重なり“最初の家”を出て、新しい家を探さなければならないことになる。

それは移住してから1年半ほど経った、1986〜1987(昭和61〜62)年ころのことだ。

2番目の家(現在の住居・工房)と初代アースワークス・ギャラリー

「新しい家を探していた時に、ロベルトがこの場所(現在の住居・工房がある場所)に目を付けました。私は『え! ここは“山”でしょ? 傾斜もきついし無理じゃない?』って言ったんだけど、ロベルトが『大丈夫だ』と言うので・・・」

こちらは石油を使う窯。電気釜と使い分けるそうだ

土地を購入して、その“山”を切り開いてみると、そこは上田市街を一望できる高台だったそうだ。そして、現在もアースワークスの制作拠点となっているこの場所に、住居や工房が次々と建ち、生活は軌道に乗っていった。

当時、制作した作品は東京・新宿の小田急ハルクなどで、個展を開催し売ったそうだが「地元でも売ることができる場所があるといいね」とロベルトさんと話していたという。

「別所温泉には、たくさんの観光客が来るわけだし、あと、繁華街にギャラリーを持てば、子供たちも学校が終わったらそこに来ることができるでしょ?」

「それまでは、山の中にある家から車で子供を迎えに行っていたけど、学校の近くにそういう場所があれば、そこからすぐに遊びに行けるわけだしね」と、当時の考えを語る。

明るい日差しの中で制作に集中するロベルトさん

そのころ、別所温泉の繁華街に、かつて置屋さん(※芸者を派遣する店)として使われていた建物があったそうだ。

「すごくかわいらしい、昔ながらの木造2階建ての建物でした」ということで、そこを借りて1993(平成5)年に、スタートしたのが初代のアースワークス・ギャラリーだ。

「ギャラリ—をはじめたタイミングで、英語学校はやめることにしました。今から考えると、移住してからうまく展開していったと思います」と、当時を振り返る。

1991(平成3)年には、すでにバブルは崩壊していたが温泉街の景気はすごく良かったそうだ。「当時は、夜も観光客が歩いていたしね。今では昼間でもあんまり人は歩いていないけど(笑)」

1998(平成10)年に、長野オリンピックが開催されることが決定していたこともあり、別所温泉ではまだ景気の良い時代が続いていたそうだ。

陶器の制作に使用する土。各地のものをブレンドして使用するそう

そして、初代アースワークス・ギャラリーは、その場所で10年ほど続いた。しかし、建物が老朽化したという理由で、立ち退きを余儀なくされたそうだ。

「素晴らしい建物だから壊さない方がいいですよって言ったんだけどね・・・」。しかし、結局その建物は取り壊されたということだ。

 

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