長野県民なら誰でも知ってるラーメンチェーン!?「みんなのテンホウ」の伝説【後編】

百代おばあさんから、初代社長を経て現社長へと続く“志”

(※前編より続く)

テンホウは、1956(昭和31)年に「天宝 鶴の湯 餃子菜館(てんほう・つるのゆ・ぎょうざさいかん)」として長野県諏訪市で創業。この地で初めて餃子を出した飲食店で、その味は“諏訪のソウルフード”として長年親しまれてきた。

テンホウ諏訪 城南店の外観

現在(2018<平成30>年5月)では、長野県内に32店舗を展開。豊富なメニューと安価な価格設定で、長野県民から広く支持を集める飲食店となっている。

テンホウの味は、いかにして生まれ、諏訪のソウルフードとなり、今では長野県民に広く親しまれるようになったのか!? 後編では、現社長が語る「テンホウの今とこれから」についてお伝えする。

テンホウの“カオス”なメニューについて

2012(平成24)年に4代目社長となった大石さん

株式会社テンホウ・フーズの代表取締役社長である大石壮太郎(おおいし・そうたろう)さんによると、テンホウのメニューはすべての店舗でほとんど一緒だが、各店長の意向によって1割くらい自由に変えられるようにしているとのこと。

しかし、驚くのはその商品数だ。そして名前をみても、いまいちどんな商品なのかわからないものもあり・・・ちょっとしたカオスを感じるのは筆者だけだろうか?

麺類と餃子のメニュー

定食・丼とおつまみのメニュー、他にも限定メニューや季節メニューもある

どうしてこれほど商品数が多いのか? という問いに大石さんは「そもそも、初代社長のころから、常に新しい商品をお客さんに提供して『何これ!』と驚いてもらいたいという思いがあるんです」と語る。

「初代社長は、『美味しい店がある』という噂を聞くと、すぐ現地に飛んでいってとりあえず食べてみる。その上で可能ならその店の店主に話しかけて、作り方を教えてもらってきました(笑)。そしてその味をベースにして新しい商品を作ってきたんです

天宝 鶴の湯 餃子菜館を引き継いだころの初代社長

「例えばテンホウの『タンタンメン』は、いわゆる『担々麺』とはだいぶ違います。辛くないんです。初代社長が埼玉にあるお店から教えてもらったレシピが元になっています」

「でも、商品開発の際に『栄養価が高い“ごま”をメインに使う商品なのだから子供にも食べられるようにしよう』ということで辛さを抑えました。辛くしたい人は卓上にあるラー油を使ってもらえばいいという考え方です」と語る。

「だから、東京などから来たお客さんには『これは担々麺じゃないよ!』と言われることもありますし、また、テンホウのお客さんが東京で『担々麺』食べるとやはり『味が違う!』と言いますね(笑)」

ピーナツなどは混ぜずにゴマだけで作られた一番人気の「タンタンメン(500円・税込み)」

「同じように『テンホウメン(ちゃんぽん)』や『皿うどん』は、長崎から持ってきたし、『台湾ラーメン』は名古屋に行って習得してきました」と大石さん。

現在の商品数は、お店によって若干異なるがだいたい50種類くらいとのことだ。

つまりテンホウは、美味しいものがあったら積極的に外に学びにいって、自分たちなりにレシピを改良してメニューに加えていくということを繰り返して商品数を増やしてきたわけだ。

“外に学びに行く”というスタンスは、百代おばあさんのころからの遺伝子なのかもしれない。

また近年とくに目に付くのがコラボ商品やコラボメニューだ。

長野市にある善光寺のおみやげとして有名な「八幡屋礒五郎」の七味とのコラボ「ラーメン七味」

長野県の上場企業である「タカチホ」とのコラボ「テンホウの餃子味 ポテトチップス」

諏訪市の漬物の老舗「松尾商店」の野沢菜を使った「野沢菜ぎょうざ」

野沢菜餃子について大石さんは「最初はテンホウで松尾商店の野沢菜漬けを単品のメニューとして出していたんです。そのうち『餃子に入れたらどうなる?』という話になって・・・」

「野沢菜のざく切り感を活かして餃子を作ったところおいしくできました」ということだ。筆者も取材時に頂いたが野沢菜のシャキシャキ感がたまらない一品だった。

さまざまなコラボ商品やメニューを作っている理由は「同じ長野県内で頑張っている者同士が、手を組んで商品を作る。そうすれば、より喜ばれるものができると思うんです」と大石さんは語った。

 

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