“名前を持つ公衆トイレ”が気になる!?長野県長野市でトイレの名前について考察する【後編】

大銀杏(長野市吉田)

長野電鉄長野線の信濃吉田駅にあるのが

「大銀杏」だ

大銀杏。まず思い付いたのは・・・大相撲の髪型=だ。関取にならなければ結うことが許されないステータスシンボル・大銀杏。しかし、トイレの名前としてはどうなのだろう・・・

あと、思いつくのは植物のイチョウだが・・・調べてみると発見! 駅からほど近くの長野市吉田3丁目にあるのが、町のシンボル「吉田のイチョウ」だ。

吉田のイチョウは、長野市指定の天然記念物で樹齢はおよそ900年(画像出展:長野市webサイト)

というわけで「大銀杏=吉田のイチョウ」と推測する。

  • 大銀杏
    住所:長野県長野市吉田3-863-2

石堂の泉(長野市南長野)

門前町のメインストリートである中央通りから

道を1本入った場所にあるのが「石堂の泉」

長野駅の善光寺口から善光寺へと続く表参道=中央通り(旧北国街道)は、門前町の骨格を成すメインストリートだ。駅からその道をしばらく進むと、かつて日本最初の石油精製所「長野製油所」があった苅萱山(かるかやさん)西光寺が鎮座する。その近くにあるのが石堂の泉だ。

長野市の「浅川油田」を採掘して日本最初の石油会社と製油所が設立された!?

名前の由来は明快で、トイレが立地する地名「北石堂町」にあると推測する。

西光寺は“絵解きの寺”として、また「善光寺七福神めぐり」の“寿老人”として広く親しまれている寺院だ

  • 石堂の泉
    住所:長野県長野市南長野北石堂町1137-1

藤棚のオアシス(長野市鶴賀)

長野電鉄長野線の市役所前駅のほど近く、長野大通り沿いにあるのが

「藤棚のオアシス」

写真を見れば一目瞭然だが、トイレの前には立派な藤棚が作られてる。その下には、座ることができるスペースも設けられており、「トイレ+藤棚のビュースポット=オアシス」ということから名付けられたと思われる。

とてもわかりやすくて、素敵な景観を持つ公衆トイレだ。

藤棚のオアシスは、長野市立鍋綿小学校に隣接した場所にある

  • 藤棚のオアシス
    住所:長野県長野市鶴賀上千歳町1406-4

杜の化粧処(長野市鶴賀)

長野電鉄長野線の権堂駅から、権堂アーケードに入ってすぐの場所にあるのが

「杜の化粧処」

善光寺参りの精進落とし・花街として発展してきた歴史をもつ、長野市鶴賀権堂町。杜の化粧処は、その繁華街に鎮座する「秋葉神社」の傍らにある。

“杜”という字には「寺社を囲む木々」という意味があるので、まさに神社にそっと寄りそうトイレの名前としてふさわしいのではないだろうか。

ちなみに、すぐ側には江戸時代の侠客である国定忠治(くにさだ・ちゅうじ)の墓があり、権堂町という場所に、博徒を生業とした国定の墓があるのも趣深い。

繁華街の中で厳かに鎮座する秋葉神社

  • 杜の化粧処
    住所:長野県長野市鶴賀権堂町2231-1

憩カラフルハウス(長野市鶴賀)

権堂町の歓楽街を善光寺大門方面へ抜けると

「憩カラフルハウス」がある

憩カラフルハウス・・・この記事の前・後編で紹介した数多くの“名前を持つトイレ”の中でも、もっとも奇妙な名前かもしれない。いったい、なぜこのような名前が付けられたのだろう?

トイレが立地するのは、ネオンきらびやかな権堂町(の外れ)。そしてトイレの建物のデザインもまた、きらびやか=カラフルだ。そして、“憩”は「くつろぐ」という意味を持つ。

つまり「憩(くつろげる)+カラフル(きらびやかな繁華街・権堂町)+ハウス(トイレ)」という意味でこの名前が付けられたのではないだろうか?

トイレから続くゆるやかな坂道を下っていくと、繁華街の中心部だ

  • 憩カラフルハウス
    住所:長野県長野市鶴賀権堂町2343-1

東司(長野市長野)

善光寺の表参道・中央通りの大門交差点近くにあるのが

「東司(とうす)」

長野駅方面から、中央通りを善光寺に向かって進むと国道406号線との交差点「大門」に至る。この辺りがかつての旧北国街道・善光寺宿だ。現在では、本陣のあった場所にホテル「THE FUJIYA GOHONJIN」が、脇本陣には善光寺郵便局が立地する。

東司は、善光寺の表玄関ともいえる場所にあり、その名前の意味はトイレの看板に解説されていた。

東司とは、寺院におけるトイレの呼称で、ここも清浄なる修行の場です

というわけで、善光寺の近くにあるトイレゆえの名前なのだろう。

国道406号線と中央通りの交差点「大門」

  • 東司
    住所:長野県長野市長野東町116-1

御安心処(長野市長野)

善光寺の山門の脇にあるのが

「御安心処」だ

御安心処は、善光寺の境内にある公衆トイレだ。創設以来約1,400年の歴史を持つ善光寺。「一生に一度は善光寺参り」「遠くても一度は詣れ善光寺」「牛にひかれて善光寺参り」など、古来より宗派も男女も分け隔て無く受け入れてきた庶民の寺だ。

トイレの名前には、ようやくこの寺院にたどり着き「これで極楽に行ける・・・」と、参拝者が“安心して用を足せる場所”という意味が込められているのではないだろうか?

元旦の善光寺。初詣客で境内はあふれかえる

  • 御安心処
    住所:長野県長野市長野元善町488-イ

長野市の衛生センターに聞いてみた

記事の後編では、長野市北部にある公衆トイレ・12か所を紹介した。

つまり、記事の前・後編合わせると22か所の“名前をもつ公衆トイレ”について考察してきたわけだ。

これらのトイレには、いったいどのような理由で名前が与えられたのだろう? 公衆トイレの管理者である、長野市の衛生センターに問い合わせてみた。回答して頂いた内容は次の通りだ。

  • トイレに名前を付けるようになったのは、1998(平成10)年に開催された長野オリンピックの頃。なぜそのような取り組みがはじまったのか、今となってはハッキリとした経緯はわからないが、公衆トイレに親しみを持ってもらうためだと認識している。
  • トイレの名前は市民からの公募や、周辺住民の意見によって決められることが多かったが、員のアイデアが採用されたケースもある。
  • 長野オリンピック以降に作られたトイレは、特に名前は公募せずに「○○駅前公衆トイレ」といった“どこに立地するトイレなのかわかりやすい施設名”で管理することが多くなった。

ということだった。

終わりに

普段、なにげなく利用している公衆トイレ。しかし、ユニークな名前が付けられているとつい深読みしてみたくなるから不思議だ。

今回、トイレの名前を推測するにあたり、立地する地域についていろいろと調べることになったが、結果としては公衆トイレやその地域により親しみを持つことにもなった。

いろいろ事情はあるみたいだけれど、今後も新たな“ユニークな名前をもつ公衆トイレ”の誕生に期待したい。

↓記事の前・後編:計22か所の“名前をもつ公衆トイレ”

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