犀川の水運で栄えた「信州新町」
信州新町は2010(平成22)年に、いわゆる“平成の大合併”で長野市に編入された自治体だ。国道19号線と平行する犀川に沿った立地で、江戸時代には“市”がたち商業の町として発展した。
犀川を利用して、船でこの地と松本を結び品物を運んだ通船の町でもあった。信州新町から下流には難所が多かったこともあり、松本から長野に運ばれる荷物はすべてこの地に下ろされ、善光寺方面や篠ノ井、北国西街道と谷街道の分岐点であった稲荷山宿などに運ばれたという。
観光地としては、前述したろうかく湖でお盆の時期に開催される、とうろう流しと花火大会が有名で、長野県歌『信濃の国』の4番に歌われる久米路橋や、町内の左右高原にある琵琶湖如来、不動滝なども知られる。
このあたりは、犀川中流域でもっとも川幅が狭いこともあり、1611(慶長16)年の昔から橋が架けられていたという。
琵琶湖如来は、郷土の彫刻家である宮尾応栄(みやお・まさよし)が、太平洋戦争で戦死した戦友の冥福を祈るために、4年5ヶ月の歳月をかけ完成させた磨崖仏(まがいぶつ※自然の岩壁を利用し、その岩面に彫刻された仏像)だ。
さて、信州新町がどんな場所なのかアウトラインをつかんだところで、ジンギスカン街道の話に戻るとことにする。
信州新町で「ヒツジをめぐる冒険」
ここまで、国道19号線=ジンギスカン街道を実走し、何店舗かジンギスカンのお店を見つけたことで、なんとなくジンギスカン街道の意味はわかったような気もする。
しかし、「どこからどこまでがジンギスカン街道なのか?」は漠然としているので、信州新町観光協会に問い合わせてみた。
すると、「信州新町では、国道19号線沿いに多くのジンギスカン店があるので、お店が立ち並ぶエリアをジンギスカン街道と呼んでいる。しかし、新たに開店する店や、閉店する店もあるので明確には定義できていない」とのことだった。ふむ。
「なぜ、ジンギスカン街道という看板まで設置してこのような取り組みをしているのか?」という問いには「ジンギスカンの町として盛り上げるため」との回答が。
シンプルな理由だが、実にいい取り組みだ! しかも、狙いは的中している。筆者のように“看板に釣られる人間”が、他にもきっといるに違いない・・・と思う。
というわけで、ジンギスカン街道の謎は一応解けたので、今度はヒツジを探しに行くことにした。1982(昭和57)年に導入されたというサフォークが、この町のどこかにいるはずだ!
山道を走っていると、自宅の庭の手入れをする地元の方がいたので「ヒツジを見たいのですがどこにいますか?」と伺ってみた。すると「国道19号線からちょっと入った放牧地にいるよ!」とのことなので、教えていただいた場所へと向かった。
実はこの放牧地にヒツジが放されるのは5〜10月とのことで、冬の間は牧場の畜舎で過ごすそうなのだ。
取材に訪れたのは11月上旬であった・・・残念。しかし、あきらめきれずに牧場へ行ってみることにする。
訪れたのは、町内にある左右牧場。あいにく人は誰もおらず、牧場の中へと続く道の入口は固くチェーンで閉ざされていた。しかし、牧場の横の道を進んでいくと・・・
カメラに望遠レンズを装着し中をのぞいてみると・・・
近くで観察することはかなわなかったが、一応実物を見ることができたので満足する。というわけで、信州新町は「ジンギスカンの町=ヒツジの町」で間違いなかった。
さて! そろそろお待ちかねのジンギスカン料理をいただくことにしようではないか!