長野県民なら誰でも知ってるラーメンチェーン!?「みんなのテンホウ」の伝説【前編】

子供からお年寄りまで3世代がみんなで楽しめる店!

長野県民なら恐らく誰でも知っているであろうラーメンチェーン店がある。その名は「テンホウ」

「テンホウ 諏訪市 福島店」の外観

テンホウは、1956(昭和31)年に「天宝 鶴の湯 餃子菜館(てんほう・つるのゆ・ぎょうざさいかん)」として長野県諏訪市で創業。この地で初めて餃子を出した飲食店で、その味は“諏訪のソウルフード”として長年親しまれてきた。

現在(2018<平成30>年5月)では、長野県内に32店舗を展開。豊富なメニューと安価な価格設定で、長野県民から広く支持を集める飲食店となっている。

麺類と餃子だけでこのラインアップ!他にも定食や丼、限定メニューなども豊富

そんな、テンホウの歴史をひもとき、発祥の地である諏訪との関連性を考えるというイベントが、2018年5月20日に諏訪市で開催された。

諏訪力講座「テンホウに見る諏訪力」のフライヤー

このイベントは、長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校の「三澤先生記念文庫運営委員会」が主催する「諏訪力講座」の一環として開催された。

イベント会場である長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校

講師は株式会社テンホウ・フーズの代表取締役社長である大石壮太郎(おおいし・そうたろう)さん。聞き手は、スワニミズム(※1)編集長、jomonism(※2)理事である石埜穂高(いしの・ほたか)さんだ。

  • ※1 スワニミズム
    諏訪を拠点とする、信仰史、信仰思想、史学、考古学、民俗学等の研究会
  • ※2 jomonism
    縄文時代の人びとの文化に注目し、現代人が求めるライフスタイルのルーツを見つけ、参加するそれぞれが楽しみながらその価値観を広めていくプロジェクト

登壇者である大石さん(右)と石埜さんをパチリ

「諏訪力講座」は、諏訪の歴史や、信仰、経済、文化など多岐にわたるテーマを取り上げ“深掘り”していく講座で、今回を含めこれまでに16回開催されているということだ。

これまで取り上げてきたテーマを改めて確認させていただいたが、どの講座もとても濃い内容で、その取り組みにとても興味をもった。とはいえ、その全貌をこの記事内でお伝えすることは不可能なので、今後改めてご協力を仰ぎ、記事としてお伝えできればと思っている。

「諏訪力講座」の会場のようす

というわけで、今回の記事では、テンホウがいかにして生まれ、どのように長野県民に広く親しまれるようになったのか? その“伝説”をまとめさせて頂いた。

テンホウのルーツは温泉旅館!?

テンホウの社長である大石さんのおじいさん孝一郎(こういちろう)さんは、岩手県の出身。おばあさんである百代(ももよ)さんは大分県出身だ。

孝一郎おじいさんは、工学院大学を卒業し日本鋼管で鉱山発掘調査技師として、日本中をまわって鉱山を探す仕事をしていたそうだ。そんななか、百代おばあさんと出会い、諏訪という土地に惚れて移り住んだという。

現在のJR上諏訪駅近くの末広町に、孝一郎おじいさんと百代おばあさんのお眼鏡にかなう空き物件があったそうだ。

2人はその物件を購入し、おばあさんに旅館業の経験があったことから、温泉旅館を営むことにしたそうだ。それが、1939(昭和14)年に創業した「天宝 鶴の湯」だ。

天宝 鶴の湯の前に立つ百代おばあさん。現在、大石家に残るもっとも古い写真とのこと

旅館の庭で撮影された、孝一郎おじいさんの若いころの写真

天宝 鶴の湯は、敷地内に源泉を持つ温泉旅館で、当時、諏訪湖で盛んだったスケート競技大会の宿舎などとしても大いに利用されたそうだ。

天宝 鶴の湯の「温泉分析成績表」。旅館の代表は百代おばあさんだった

スケート競技大会では宿舎として使われた

入り口を広く改装したころの天宝 鶴の湯

当時の温泉の分布図。諏訪湖の湖畔側はほとんど開発されていない

しかし、やがて戦争が始まり・・・そして日本は敗戦する。

大石さんは「おじいさんは、すごく落ち込んでしまって一切働かなくなってしまったと聞いています。帳場でお酒ばかり飲んでいたらしいです(笑)」と語る。

そして1950年代、高度成長期を迎えると諏訪市にもその景気の波が押し寄せ、諏訪湖の湖畔側に新しく大きなホテルや旅館が次々と開業していく。

諏訪市・末広町の郷土誌に掲載された写真。街なみの変化がわかる

そんなこともあり、百代おばあさんは「もうこんなところで旅館をやっていてもしょうがない」と思うようになったそうだ。「このまま、小さな旅館の女将を続けていても先細りになるばかりだ」と。

 

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