お寺の墓地でミュージックスターマイン!?長野県長野市の「久保寺観音」

なぜ墓地で花火をすることになった?

というわけで、取材させて頂いたのは、慶紫山(けいしざん)正覚院月輪寺の住職である、徳永隆宣(とくなが・りゅうせん)さん。

この寺は858(天安2)年に、月輪寺として創建されたと伝わる天台宗の古刹で、戦国時代には一時荒廃したが、江戸時代の元和年間(1615〜1624年)に善光寺の七寺(院)である正覚院がこの地に移り、真言宗の寺として再興。以来、徳永住職まで20代続くという。

残念ながら住職のお姿は撮影NGとのこと

早速だが、単刀直入に聞いてみることにした。

——先日、ここの花火をはじめて見たのですが、なぜお寺で、しかも墓地で花火をするようになったのでしょう?

ここの春祭りは江戸時代から続くお祭りで、毎年4月18日に行われています。戦前から戦後には、2〜3万人ものお参りがあったそうです。

私はここで30年間住職をしていますが、1995(平成7)〜1996(平成8)年ごろまでは、お祭りの日には昼間から屋台が出て、おじいちゃん・おばあちゃんたちが孫を連れてお参りに来ていたものです。

でも、長野オリンピックが終わった(1998<平成10>年)ころから、お年寄りもだんだん来なくなってきて・・・ここに来るには坂道を上らなきゃならないし、景気も悪くなったということもあって、陰りが見えてきた。

それで「ちょっと困ったな」と思っていたら、ある人が「花火でもやろうよ」と提案してくれて・・・それで、2002(平成14)年から花火をはじめました。

墓地で花火をやることになったのは・・・お寺が主催するのだから、当然お寺の境内やるわけです。そして、境内といったって広い場所は墓地しかない。だから「なぜ?」と言われたって、そこしか場所がないから墓地やっているわけです。

お寺の境内で一番広い場所が墓地だった

——なるほど・・・でも、檀家さんたちには「ここで花火をする」と説明したわけですよね?

別に了解をとったりはしてないですよ。ちょっと嫌がった人もいたけど・・・でも、2年、3年と続けていくうちに「お墓に入っている人も楽しんでいるだろう」と納得してくれました。

今では誰も文句は言わないです。もう言えないんだと思う。花火がとんでもないことになっちゃったからね(笑)

——確かに花火はとんでもなくて・・・まず、見ている人からすごく近いし、花火のクオリティーもすごかったです

このお寺がある長野市安茂里には、犀川神社(さいがわじんじゃ)があって、毎年9月21日の秋祭りで花火をしています。そこの“花火方(はなびかた)”と、やはり安茂里にある紅屋青木煙火店さんが、ここの花火を取り仕切っています。

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——紅屋青木煙火店さんというと、「長野えびす講煙火大会」でも花火の打ち上げを行っている、全国屈指の煙火業者さんですよね。それで、花火方というのは?

犀川神社に、仕掛け花火を奉納する人たちが花火方です。その花火は「犀川神社の杜煙火(もりはなび)」として、長野県の無形民俗文化財にも指定されています。

今回のお祭りで最初にやった花火があったでしょ?「仕掛け煙火」。あの花火です。火薬の調合の仕方は、江戸時代からの方法を今に伝えているそうです。

墓地の中に仕掛けられた“仕掛け煙火”

犀川神社は858(天安2)年に、このお寺の前身である月輪寺が創建された際、その鎮守として日吉山王社という名前で、まつられた神社だと言われています。

そして、1824(文政7)年に犀川神社という名前に変わって、杜煙火はその際に奉納したものがはじまりとされているそうです。だからもともと、このお寺とも深い縁があるわけです。

——200年近く続く県の無形民俗文化財に指定された花火と、紅屋青木煙火店さんの最新型の花火が一緒に見られる・・・すごく豪華なんですね

つまり、現在の犀川神社の秋祭りで見ることができる花火を、ここでやってもらっているということになります。青木さんは、先々代のころからずっと全国の花火をリードしている花火師さんですし、犀川神社でも花火の打ち上げを行っています。

そして犀川神社の花火方や、今回のお祭りでも神楽を奉納してくれた獅子方(ししかた)・・・そういったみなさんに協力してもらってお祭りをやっているということです。

——なるほど。しかし墓地でのミュージックスターマインはすごい迫力でした

お寺で花火をはじめた当初は、消防署に風が強い時は中止にすると言われていて・・・でも、中止にされても困るから、そういうこともあってノウハウを持ってる、青木さんにお願いしたわけです。

2002(平成14)〜2006(平成18)年の、花火をはじめた最初の4年間は打ち上げ花火を、そして、その後はミュージックスターマインもやるようになりました。

大迫力のミュージックスターマイン

でも、最初の1〜2年は模索していましたね。うまく点火しないとか、花火と音楽が連動しなかったり・・・だからそんな実験を毎年このお祭りでしていたわけです。

そして、だんだんうまくいくようになって、全国の花火大会でもミュージックスターマインをやるようになった。と聞いています。

青木さんは最新の技術を、他の花火師にも惜しみなく教えていくから・・・ミュージックスターマインが全国的に広まったんです。そして、その花火の発祥はこの場所ということになります。

——え! ちょっと待ってください。ミュージックスターマインの発祥って紅屋青木煙火店さんなんですか?・・・しかもこの場所で試行錯誤して作り上げていったということなのでしょうか?

その通りです。(※筆者注:諸説あるようです)

 

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