長野県佐久市にもある“五稜郭”龍岡城は本当に五角形?GPSと目視で確認してみた!

五角形を探せ!【目視編】

再びモヤモヤとした気持ちにとらわれつつも、龍岡城に併設された資料館「五稜郭であいの館」へと向かう。

五稜郭であいの館

館内には、龍岡城に関連した資料や、藩を支配した大給(おおぎゅう)松平家の歴史、龍岡城を築城した松平乗謨の明治以降の業績などが展示されている。

龍岡城の模型も展示されていた

模型を眺めつつ「実物をこんな風に俯瞰して見たいんだよな・・・」と思っていると、解説員の方が話しかけてきたので龍岡城を俯瞰して眺めることができる場所ってないんですか?」と伺うと「山に登れば見えますよ。30分くらい山道を歩きますけど」とのこと。おお!

そして、筆者の足元を見て「うん。スニーカーならたぶん大丈夫。でも、山道は滑るから気をつけて」と、道順を教えてくれた。

これは行くしかないでしょ! というわけで出発。

五稜郭であいの館の前の広い道を渡り、鳥居のある道を直進して行くと・・・

突き当たりに案内板が。左折して蕃松院(ばんしょういん)を目指す。写真の後方に写る寺だ

50mほど歩くと、蕃松院への入口がある。ここから寺の境内に入る

寺の左脇の道を進んで行く

蕃松院は、曹洞宗の古刹で龍岡城を築城した松平乗謨もここに埋葬されているそうだ。

鐘楼の脇を抜けさらに進むと・・・

階段があるので登って行く

すると、複数の案内板が見えてくるので「田口城址への道」を進む

田口城は、かつてこの地を治めた豪族である田口氏の居城として築かれた山城だと伝えられている。1546(天文15)年に、武田信玄によって攻められその支配下となったそうだ。

目指す場所はこの田口城に作られた龍岡城を眺める展望台ということらしい・・・つまり“城から城を俯瞰する”ということになるわけだ(築城された時代はまったく異なるが・・・)

さらに進んで行くと案内板があり・・・

山道がはじまる

ところどころに案内板があるので迷うことはない

木々の中をつづら折りに進んで行く

しばらく歩くと「五合目」と書かれた案内板が。よし!半分

さらに進むと「七合目」の案内板が。そして・・・

林道へと繋がった

林道を進んで行くと「五稜郭展望台」と書かれた案内板が!あと100m

再び山道を進む。すると・・・

お!展望が開けそうだ・・・

展望台に到着!そこからは・・・

龍岡城がよく見える!

わかりやすいように色をつけてみた

五稜郭であいの館から展望台までは30分ほどだ。うーん! 息は切れたけど、ようやく龍岡城を目視で確認した。GPSとの合わせ技で“五角形の城”を攻略したぞ!

龍岡城を囲む土塁にはサクラが植えられている。春になればこの場所から、ピンク色をした“☆”を見ることができるのだろう。

終わりに

龍岡城を築城した松平乗謨は、明治時代に入ると大給 恒(おぎゅう・ゆずる)と改名し、元佐賀藩士の佐野常民(さの・つねたみ)らとともに、日本赤十字社の前身となる博愛社を設立。日本の近代化に大きく貢献した。

龍岡城に立つ大給(松平)の銅像

幕末の動乱期に、当時もっとも進んだ城郭建築の技術を導入したことも踏まえつつ、その人物像を想像すると、実に先進的で優れた人物であり、もっと知られるべき存在だと思った。

銅像には「日本赤十字社をつくり育てた人」と記載されていた

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