五角形を探せ!【目視編】
再びモヤモヤとした気持ちにとらわれつつも、龍岡城に併設された資料館「五稜郭であいの館」へと向かう。
館内には、龍岡城に関連した資料や、藩を支配した大給(おおぎゅう)松平家の歴史、龍岡城を築城した松平乗謨の明治以降の業績などが展示されている。
模型を眺めつつ「実物をこんな風に俯瞰して見たいんだよな・・・」と思っていると、解説員の方が話しかけてきたので「龍岡城を俯瞰して眺めることができる場所ってないんですか?」と伺うと「山に登れば見えますよ。30分くらい山道を歩きますけど」とのこと。おお!
そして、筆者の足元を見て「うん。スニーカーならたぶん大丈夫。でも、山道は滑るから気をつけて」と、道順を教えてくれた。
これは行くしかないでしょ! というわけで出発。
蕃松院は、曹洞宗の古刹で龍岡城を築城した松平乗謨もここに埋葬されているそうだ。
田口城は、かつてこの地を治めた豪族である田口氏の居城として築かれた山城だと伝えられている。1546(天文15)年に、武田信玄によって攻められその支配下となったそうだ。
目指す場所はこの田口城に作られた龍岡城を眺める展望台ということらしい・・・つまり“城から城を俯瞰する”ということになるわけだ(築城された時代はまったく異なるが・・・)
五稜郭であいの館から展望台までは30分ほどだ。うーん! 息は切れたけど、ようやく龍岡城を目視で確認した。GPSとの合わせ技で“五角形の城”を攻略したぞ!
龍岡城を囲む土塁にはサクラが植えられている。春になればこの場所から、ピンク色をした“☆”を見ることができるのだろう。
終わりに
龍岡城を築城した松平乗謨は、明治時代に入ると大給 恒(おぎゅう・ゆずる)と改名し、元佐賀藩士の佐野常民(さの・つねたみ)らとともに、日本赤十字社の前身となる博愛社を設立。日本の近代化に大きく貢献した。
幕末の動乱期に、当時もっとも進んだ城郭建築の技術を導入したことも踏まえつつ、その人物像を想像すると、実に先進的で優れた人物であり、もっと知られるべき存在だと思った。